2017年にボートレーサーデビューし、注目を集めている中村かなえ選手。お茶の水女子大理学部を卒業し、大学院に進むなかで、レーサーに転身した理由とは。(全2回中の1回)
勝負事が好きだった
── 大学では化学を学ばれていたとのこと、具体的にどんな勉強をして、大学院ではどんな研究をしていたのでしょうか。
中村選手:理学部化学科なので、見えない分子、原子の研究をしていました。化学が好きだったのは、化学的に正しいものを見つけるのがおもしろいと思ったからです。何かしらわかっていないことを見つけたいと思っていました。
── もともと勉強が得意だったのでしょうか。
中村選手:もともと勉強は好きで、学校のテストが楽しくて、テストで結果や順位が出ることが楽しかったですね。スポーツでも試合、勝負が好きでした。
── そこからいつ、ボートレーサーになろうと思ったのでしょう。
中村選手:大学の卒論を書いているとき、国家資格一覧の雑誌をふと見ていたら、ボートレーサーが載っていたんです。調べたら、あれ、今からでもなれるぞと気づいたんです。身長、体重、視力など小柄な私でも力勝負じゃなく、受験資格をクリアしていると思って、大学卒業間際に応募しました。
── そもそもボートレースに関心を持ったきっかけは何だったのでしょう。
中村選手:地元の江戸川にレース場があって、子どものころから乗っている人をみて、楽しそうだなあと思っていました。そんなふうに存在を知っていたけれど、きっとレーサーは小さいころからやっていてプロになるんだと思い込んでいたので、自分が今から目指せると知ったことが衝撃だったんです。大学時代もテニスや水泳などしていて、大会に出ることが好きでした。勉強もスポーツも勝負が好きで、それが仕事となったら楽しそうだなと思ったんです。
周囲に「試験受けるんだ」とワクワクしながら報告
── ボートレーサーの試験には何回で受かったんですか。
中村選手:筋トレなどを頑張って1回で合格しました。
── すごいですね。大学院に行かれていたのですよね。
中村選手:はい、大学院に進学して半年で試験に受かりました。大学院を辞めるのはもったいないと大学の先生も言ってくれ、選手になってからも半年ほど大学院に行っていたけれど両立が難しいと思って結局、大学院を辞めることにしました。
── 転向を決めたとき、親や周囲の反応はいかがでしたか。
中村選手:もともと自分はやりたいと思ったことはやるタイプなんです。両親もやりたいことはなんでもやらせてくれたし、勉強しろとかも言われたこともないです。そのひとつとしてボートレーサーになりたいと親に相談したら、驚いていたけれど、「おもしろそうだね」と言ってくれました。大学の教授も「そういうことやりそうだと思ったよ」と言っていました。私が大学時代、テニス漬けだったので、運動をしそうだと思ったのでしょうか。応援してくれました。
── すごい決断、勇気があるように思います。
中村選手:私にとって、大学で勉強していたのは楽しいからで、その先、どういう仕事をしたいかは何にもなかったんです。特に研究の先に華々しい未来が待っているとかは思ってなかったです。勉強が得意だったのでしているけど、将来は私、何するんだろうと思っていました。そんなとき、レーサーをやりたいと思った気持ちが圧倒的に強くて、やりたいことが見つかったんだと思いました。
── 研究の道からレーサーになると決めたとき、誰かに相談しましたか。
中村選手:相談というか、レーサーの養成所は試験が難関だったので、これを受けるんだということにワクワクして、友達に「試験受けるんだ。頑張るね」と言っていました。相談というより、受けることを決めていて、楽しみでたくさん言っていました。
プロペラ、モーター調整で個性が出る
── 中村選手にとってボートレースの魅力って何ですか。
中村選手:整備で自分好みにモーターなどを調整していくので、こんなに乗り方にも個性が出るとは思わなかったことがおもしろいですね。いろいろやってみないとわからないけど、プロペラとか、モーターを自分で借り受けて、自分の好きなように整備して自分好みにアレンジするんです。
── 研究に心残りはないですか。
中村選手:心残りはないですね。研究室はみんなでやっていたテーマなので、先生たちは研究を続けてくれているし、選手になってからは中途半端で研究に時間をかけられなかったので、しょうがないと思っています。
── これからどんなレーサーになっていきたいですか。
中村選手:今も伸び悩んでいるけれど、ちょっとずつでもずっと成長していきたいですね。勝率で見ると、伸び悩んでいるけど、新しいターン方法、プロペラ調整など身につけ、成長していきたいと思っています。
取材・文/天野佳代子 写真提供/BOATRACE振興会