「大ケガを負って苦しんでいたときの自分に言いたいですよ、誰かのためじゃなくて、自分のために滑りなって」。過去6度の五輪を経験したスノーボーダーの竹内智香さん。ひとつのことを続けるなかでの苦悩と、それを乗り越えた先。仕事をしている人にも通じるものを見た気がします。

 

北京五輪で6度目の出場を果たしたときの竹内さん

“勝つだけ”が目標ではなくなっていった

── 2002年のソルトレイク五輪に初出場し、以降、39歳の現在まで6大会も五輪を経験。日本女子初の銀メダルを獲得された2014年のソチ五輪大会後に、インタビューをさせていただいた際、「欲しかったメダルの色と違った」と、悔しがっていた姿が印象に残っています。

 

竹内さん:当時は競技に勝つことだけを目標に、自分自身のすべてをささげて、24時間365日をアスリートとして過ごしていました。

 

ですが、ソチから8年が過ぎ、2つの大会も経て自分の置かれている立場や環境、やりたいことなどが目まぐるしく変わりました。

 

── ソチ五輪から2018年の平昌五輪までの4年間は、ケガもあり、競技者として限界を感じ、一時は引退へと気持ちが傾いたそうですね。

 

竹内さん:ソチから平昌までの4年間は、私の選手生活のなかでもっとも苦しい時期でした。調子がまったく上がらず、成績もどんどん落ちていく。

 

2016年には「左膝前十字靭帯断裂」の大ケガも負って、良い結果を残した状態のまま、潔く辞めていくほうがいいんじゃないかなと悶々と考えたり。

 

とはいえ、「次は金メダルを目指します!」とメディアで宣言した手前、自分の言葉に対する責任があるし、大きな期待も背負っている。後に引くことはできませんでした。

 

正直、平昌五輪は“できない自分”を見せる発表会のような思いで、スタートに立つのも吐きそうなぐらい嫌だったのですが、結果は5位入賞。

 

メダルには手が届かなかったけれど、ひとまずホッとして、すべてから解放された気持ちでした。

 

── それまで、勝つことにこだわり、前向きに競技と向き合ってきた竹内さんにとって、ネガティブな気持ちを抱えたまま、五輪の舞台に立つことは、とても心苦しいものだったでしょうね。

 

竹内さん:当時の自分にアドバイスするとしたら、「誰かのためではなく、自分自身のために滑ることが大事だよ」と伝えたいです。

 

何かの責任を負うとか、周囲の期待に応える義務感ではなく、心から「好きだからここにいる」と、思えることが何より大事。それがあってこそ、勝ちにいけるものだと、改めて思います。

 

なにより大切なのは人生を自分で決め、幸せを感じながら生きること。振り返ると、ソチ五輪からの4年間は、自分の人生に幸せを感じられず、苦しさが強かったんです。スノーボードあっての私の人生なのに、楽しさを見出せなかった。

 

もちろんプロとしてスポンサーから契約金をもらい、サポートを受けているわけですから、大きな責任が伴うことは絶対に忘れてはいけません。

 

でもそれ以上に、「なぜ私はスノーボードをするのか」という原点を大切にしていれば、もっと楽しむことできたんじゃないかなと感じます。