『全国好きな嫌いなアナウンサー大賞』(2017)に出たことで、一気に全国の知名度が上がったと語る、馬場ももこさん。その後、テレビ金沢からキー局の番組にもどんどん出演していきます。ときに無理難題に出くわすことに。(全5回中の3回)
全国区でいきなり名前が出た
── 馬場さんのお名前が全国区になったのは、『全国好きな嫌いなアナウンサー大賞2017』だったと聞いています。番組に出演するきっかけなどあったのでしょうか。
馬場さん:番組を作るにあたって、日本テレビのディレクターさんが、地方局のアナウンサーを探していたようで、私にも会いに来てくださったんです。
そこで、担当のディレクターさんとお話をしてみると、私が「ゆるすぎるアナウンサー」と思われたようで、お話が進みました。
── どのあたりがユルかったのでしょうか?
馬場さん:たとえば、自宅から職場まで愛車のBMWで、車内は大好きな映画「ワイルドスピード」の音楽をかけて来るとか。1時間の昼休みは、車でドライブに行くとか。この人、なんとなく面白そうと思ってくださったみたいです。
その後、『全国好きな嫌いな〜』に出てみると、私のリアクションやポンコツな部分をおもしろく編集してくださって、放送と同時にかなり反響をいただきました。
次第に日本テレビの他の番組にも呼んでいただけるようになって、『情報ライブ ミヤネ屋』とか、『今夜くらべてみました』『行列のできる法律相談所』や『踊る!さんま御殿!!』など、どんどん声がかかるようになったんです。ディレクターさん同士は繋がっているので、私が地方局にいることや、私の名前があがったりと、共有することが増えたようです。
── 全国で名前が知られるようになって、いかがでしたか?
馬場さん:私の名前を売りたいとか、そんなことは別にいいんですよ。それよりも、日本テレビの番組を担当していた方が、テレビ金沢の報道制作局次長に連絡をしてくださったんです。
「馬場さんは、今回の好きな嫌いなアナウンサー大賞の中で、3本指に入るくらい活躍されました。本当にありがとうございます!」って感謝してくださって。
その話を、自分がお世話になっている局次長から聞くのが、嬉しかったんですよ。自分の名前を出すことより、テレビ金沢と石川県を知ってくれることが非常に嬉しかった。何かのきっかけでみんなが石川県に来たいって思ってくれたらいいなって。
それが私がアナウンサーをやる役割かなって思ったんです。だから、私が振りきって何か印象を残すことによって、結果的にテレビ金沢を知ってもらえる。会社の利益にも繋がったらいいなって思いましたね。
── そうだったのですね。のちに全国区を目指すようなイメージではなく…?
馬場さん:まったく思ってなかったです。ただ、テレビ金沢は契約社員だったこともあって、チャレンジも兼ねて結果的に東京に出ましたけど、当時はずっと石川県にいるつもりでした。