24歳で工房の館長に 本格的に手まりの普及活動がスタート
── 大学卒業後は、会社員として働きながら手まりについての情報を集めていったそうですね。
佐藤さん:明確な方向性は描けていませんでしたが、「作家さんの活動に貢献したい。手まり作家が増える仕組みを作りたい」という思いで、手まり作家さんや講師をしている先生方に連絡を取り続けました。同時に、自分自身でも手まりを作るようになりました。会社から帰宅した後、眠い目をこすりながら手まりに糸を巻いていた日々が懐かしいです(笑)。
また、東京・北千住で事業を展開する植村昭雄さんとの出会いも、現在の手まり活動につながる大きな変化となりました。
私は、大学時代から「秋田をPRする」ための活動を始めていて、その活動の一環として、インターネット番組に出演させてもらったことがありました。それ以降、同番組のディレクターとして参加することになり、会社員になってからも毎週末に東北の情報発信を担当していました。その番組の局長を務めていたのが植村さんです。植村さんも東北出身ということで手まりの話に興味を持ち、「手まりの工房を作ってみないか」という話をいただいたんです。
当時、24歳だった私には、「手まりを仕事にする」というビジョンはありませんでした。しかし、「とにかくやってみよう!」と飛び込んでみることに。新卒からお世話になっていた会社を退職し、2019年に「手まり工房の館長」として就任。本格的に手まりの普及活動への道がスタートしました。
── その工房が、現在の「はれてまり工房」ですね。工房ではどのような活動を展開していったのですか?
佐藤さん:手まり作りのワークショップや、手まり講師を招いてイベントを開催するなど「手まり」を知ってもらうためのさまざまな取り組みを企画しました。
最近では秋田だけでなく、全国の手まりを展示・販売したり、福岡県柳川市の先生をお呼びして、「柳川伝承まり」を作る教室も行っています。さまざまな産地の先生方を招待して、多彩なイベントを開催できるようになりました。
それから「はれてまりアクセサリー」と名づけた、手まりアクセサリーのブランドも立ち上げて、展示、販売をしています。
工房は、併設しているカフェの奥にひっそりとあるため、足を運んでもらうきっかけを作ることに苦労しましたが、地道な活動を続けるうちにメディアに取材してもらう機会も増え、徐々に認知度が高まっていきました。
最近では、工房内のインスタレーションを見た企業担当者から、「イベントの装飾を手がけてほしい」という依頼をいただくように。2021年には、JRA東京競馬場の天皇賞でパドックの装飾をさせていただきました。
また、今年の1月〜3月、ホテル雅叙園東京の「百段階段」で、全国の手まりの展示を開催。展示を見てくれた人や、ワークショップに参加してくれた人の記憶に手まりが残り、愛着を感じてもらうことが、手まり文化を広げる一歩に繋がっていけたらと願っています。