お祝いごとや、ハレの日の贈り物として、日本各地で古くから親しまれてきた手まり。細い糸を一巻き一巻き重ねながら美しい柄を描く伝統工芸品は、今、担い手の減少から徐々に姿を消しています。そんな手まり文化を広げようとしている女性がいます。

 

「手まり文化を広げたい」と活動を続ける佐藤裕佳さんは、手まり文化が根づく秋田県由利本荘市出身。大学の卒業間際、小さな手まり作品を目にした佐藤さんは「地元の工芸品を髪飾りにしてみたい」と思い立ちました。このアイデアが、現在の「手まりの普及活動」へと紐づいていったのです。衰退しつつある日本の伝統を広めようと奮闘する佐藤さんにお話を伺いました。

「アクセサリーとして使いたい」手まりの可能性に気づいた大学時代

── 佐藤さんの地元は手まり文化が残る町とのことですが、子どものころから慣れ親しんだ存在だったのでしょうか?

 

佐藤さん:私が生まれ育った由利本荘市は、「本荘ごてんまり」という手まりの産地で、「一家にひとつ手まりがある」と言っていいくらいポピュラーな存在です。実家の玄関にも飾られていましたが、子どものころの私にとって身近な存在すぎたのか、特に興味を惹かれたことはありませんでした。

 

佐藤裕佳さん
由利本荘市「本荘ごてんまり」の作品

── 手まり作りは日本各地で行われているそうですね。

 

佐藤さん:特に雪国の伝統工芸品として継承され、農業ができない冬の時期に、手まりを作って収入を得ていたそうです。

 

もともとは「蹴まり」や「まりつき」などの遊び道具として使われていた手まりですが、徐々に形を変えて贈り物やお祝い事に飾る装飾品として扱われるようになったと言われています。地域によって、デザインや使われる素材もさまざま。東北などのお米の産地では、中の芯に籾殻を使ったり、熊本ではヘチマのわたやい草を使ったりするなど、地域の風土を生かした手まり作りが行われています。

 

── 手まり文化を「失くしたくない」と考えるようになったきっかけを教えてください。

 

佐藤さん:大学4年生のとき、由利本荘市の市役所に勤める知人のFacebookに投稿されていた、3cm程度の小さな手まりの写真を見たのがきっかけでした。私の記憶にある手まりは、手のひらサイズから頭より大きいサイズのもの。「こんなに小さな手まりを作れるのなら、アクセサリーにしてもかわいいかも!」と、手まりの愛らしさと魅力に心を強く惹かれた瞬間でした。

 

当時、卒業式を控えていたこともあり、「袴に合わせて、手まりのかんざしを身につけたい」と、市役所の知人に連絡を取り、Facebookに載っていた手まり作家さんを紹介してもらいました。

 

その作家さんとかんざしのデザインについて相談するなかで、「手まりを作る後継者が不足していて、あと10年もしたら作り手がいなくなってしまうかもしれない」という事実を知りました。長い年月をかけて育まれてきた伝統が消えてしまうということに寂しさを感じ、「私にも何かできないかな」と考えるようになったんです。

 

佐藤裕佳さん
佐藤さんが卒業式でつけた手まりのかんざし