東京の街をフラフラとさまよって
── naoさんたちと音楽活動を進めていくなかで、川嶋さんが16歳のときに、お母様が亡くなりました。音楽活動に影響はありましたか?
川嶋さん:母はもともと体が弱くて、入退院を繰り返していたんです。母が亡くなったときは、まだ路上ライブが100回いくか、いかないかくらいのころだったかな。母が亡くなって、精神的に不安定になってしまい、路上ライブができない期間が1か月くらいありました。
そもそも、歌を歌う行為は、母が喜ぶ顔を見たくてやっていたんです。でも、これ以上歌っても意味がないし、歌も歌いたくない。自分なんて消えてしまいたい。そんな気持ちに陥って、しばらく東京の街をフラフラとさまよっていて…。
その間もnaoさんたちは、私を一生懸命探してくれて、携帯電話にも一日何十回とかけてはくれるんですけど、私も電話に出られる状態じゃなくて。でも、最後の最後に電話に出たときに、すごく心配してくれてるんですよ。「とにかく泣いててもいいし、何も話さなくてもいいから、一緒に居よう」って。その後もずっとそばに居てくれたんです。
そのときに、naoさんたちにも初めて自分の出生や、養子縁組で育った話もしました。
この人たちなら信用できる。そこから、また立ち上がっていきました。