高校生のときに、渋谷で路上ライブをはじめた川嶋あいさん。「路上ライブ1000回」を目指しつつも、はじめは苦労の連続だったとか。テレビ番組「あいのり」の主題歌に繋がる、路上での出会い。そして母の死。ひとりで歌っていたはずが、現在200人以上のレコード会社になった経緯とは。

道行く人から変な目で見られて…

── 川嶋さんは高校生のときに音楽活動をするために福岡から上京。その後、渋谷の路上ライブを始めたそうですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

 

川嶋さん:東京に来て芸能事務所に入りましたが、半年くらいで解雇の宣告を受けてしまったんです。そこで、慌てていろいろなオーディションを受けたり、いちからデモテープを作っていくつか事務所にも送ったりしたんですが、全然うまくいかなくて。いよいよ、これはまずい…と思っていたときに、たまたま渋谷のストリートミュージシャンを見かけたんです。

 

自分でも、「これが最後かもしれない…」と思って、路上で歌うことを決めました。

 

── スタートは渋谷からですか?

 

川嶋さん:当時、四谷に住んでいたので、はじめはひとりで四谷の路上ではじめました。そのうち、もっと人が多い渋谷に行ってみようと思って移動して。とにかく人に見てもらって、誰かの目に留まったらいいなって思ってたんですよね。

 

── 渋谷で路上ライブをするのは、どんな心境でしたか?

 

川嶋さん:今と時代が違うというか。今って、昔に比べて、世間もストリートミュージシャンに対して、寛容になってきた気がするんです。でも、当時は路上で歌う人も少なかったし、やっていても、男性の方がギターを弾いて歌ってる感じ。そんな状況のなかで、制服を着た女子高生が、ひとりで何かやってるぞ…みたいな。道を歩く人から、すごく変な目で見られていたと思います。

 

制服を着て渋谷で路上ライブ。周りから不思議がられたと語る川嶋さん

── ひとりですべてセッティングをして、歌われていたのでしょうか?

 

川嶋さん:ラジカセマイクを持って、歌ってましたね。

 

── すごく、ドキドキしそうです…!

 

川嶋さん:ドキドキはしますよね。

 

最初は、やっぱり歌に集中するなんて、とてもできなかったです。「よしやるぞ!」って、戦う気持ちで渋谷に行くんですよ。でも、いざ現場に着くと恥ずかしいし、なんでこんなところで、ひとりで歌ってるんだろうって、情けなさとか、みすぼらしさみたいなのを感じてしまって。

 

それに、みんな物珍しさで一瞬立ち止まるけど、すぐ通り過ぎて時間が無になっていくっていう。

 

── 1回で何曲くらい歌っていたのでしょうか?

 

川嶋さん:はじめは、1回につき3曲歌って、ちょっと休憩してってペースだったと思います。途中で、路上1000回ライブを目標にしてからは、1日何十回と増やしたのかな。

 

ただ、最初は1回やるだけでもしんどくて、しんど過ぎて、もう帰りたい。

 

どこを見ながら歌っていいかわからないし、目線もキョロキョロして、回りから見たらちょっと挙動不審だったかもしれません…。

 

とにかく、早く1曲終わって欲しい…。そう思いながら歌ってました。

 

── 路上で、後に「あいのり」の主題歌にもなった、I WiSHにつながる、naoさんと出会ったんですよね。

 

川嶋さん:いつも通り路上ライブをしていたら、ある男性が「キョロキョロしてどうしたの?」っていうような感じで、声をかけてくれたんですよ。それがnaoさんたちでした。

 

── ものすごい縁ですね…!

 

川嶋さん:今考えると、すごい出会いでしたね。ただ、はじめは私と何か一緒にやろうなんて発想はなかったと思うんです。この子が歌手になりたいんだったら、応援したいっていうか。自分も曲が作れるし、お互い情報交換しながら、曲を作ったり、アドバイスできたらいいねって。

 

そこから、naoさんやその仲間、私を合わせて4人で、自主CDを作ったり、少しずつ一緒に活動をしていきましたね。