こんなに水平に飛べるの!?8歳のころの松浦さんのコンクールの様子

「家族だんらんよりバレエをやりなさい」。そう母に言われてバレリーナ一直線の道を歩むも、力不足や低身長で夢を断念した松浦景子さん。なんと吉本新喜劇に入団し、いまや「バレエ大好き!」を合言葉に、YouTube総再生回数1.4億回を誇る人気者に。そんな彼女の知られざる幼少期からの葛藤と、転機について聞きました。

「牛乳禁止で、弁当は寒天」すべてはバレリーナになるため

── バレエ歴25年目の松浦さん。芸人になってからバレエコンクールで全国1位をとられたこともある実力派ですが、始めたきっかけは?

 

松浦さん:
じつは自分の意志ではなく、母が熱烈に「娘たちをバレリーナにしたい!」と私たち姉妹を導き、バレエを始めたんです。

 

姉のレッスンについていって、3歳でよちよち踊ったのが最初でした。その後、小学校にあがると、週5〜6日レッスンにかようバレエ漬けの生活に。

 

── バレエ漬けといえば、ご自宅に練習室を作ったそうで…。

 

松浦さん:
いきなりホームセンターで床材や木の棒を買ってきて、母が練習室を作ったんです。壁には、全身鏡を何枚もばーっと貼りました。

 

「家族団らんなんかより、バレエをやりなさい」が母の考えなので、リビングをぶっつぶして練習室に改造したのですが、すごい迫力でしたよ。

 

母と姉に囲まれ、かわいがられて育った(中央が松浦さん)

── 情熱的なお母さまですねぇ。バレエを極めるためにストイックな生活を送られたと聞きましたが…。

 

松浦さん:
母からはとにかく「太ってはいけない」と。給食の牛乳は、毎年初めに給食室に断りに行き、炭水化物禁止なので自宅には炊飯器がありませんでした。

 

中学時代のお弁当は、寒天のみ。味のない寒天がボンってお弁当箱に入っていて、たまにきなこがかかっているとラッキー(笑)。

 

お腹がすいてばかりで、給食やお弁当の時間に楽しい思い出はひとつもありません。白米は学校で友だちに恵んでもらったり、おばあちゃんの家でたまに食べたりするくらいでした。

 

笑い話みたいですが、吉本に入って初めてラーメンを食べたので、すすって食べることさえ知りませんでした。

 

唯一の息抜きは、大好きなお笑いを観ること。父がお笑い番組のDVDをシリーズでそろえるほどのお笑い好きで、母も「ドラマはダメだけど、お笑いだけは観ていい」と認めていました。

 

4歳のころの松浦さん(左)。父はお笑いが大好きだった

── 食べざかりの食事制限はつらそうです。総再生回数1.4億回を誇るYouTubeでは「バレエ大好き!」を合言葉にしている松浦さんですが、バレエを嫌いになったり、やめたいと思ったことは?

 

松浦さん:
小学校高学年から高校にかけて、学校の友だちとあまりに環境が違うのでイヤになったことが何度もあります。

 

でも、そのときすでに年間何十回もコンクールに参加する生活を送っていて、姉妹でバレエを続けるのにかなりのお金がかけられていることを考えると、やめるなんて…。

 

姉が太ったりコンクールの成績が下がったときに「バレエやめたい」と言ったら、母がめちゃくちゃ怒ってトゥシューズをバキバキに壊したり、窓からカバンを投げたことがあります。

 

“母に反抗したら生きていけないんじゃないか”って、妹の私はおとなしくしてました(笑)。