ニトリCMの悲哀に満ちたサラリーマンでお馴染みの俳優・清水伸さん。今期大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に長沼宗政役で出演すると、視聴者が「同一人物だ!」と気づいてSNSに投稿、清水さんも反応し盛り上がりを見せました。コミカルな演技で老若男女の心を掴んでいる清水さんは、どのようにして俳優の道を志したのでしょうか(全4回中の1回)。
バブルと重なった青春時代
── 大学を中退し、雑誌で見かけた「欽ちゃん劇団」のオーディションを受けたのをきっかけに芸能界に入り俳優の道へ。そもそも芸能界には興味があったのでしょうか?
清水さん:
子どもの頃から人前で何かをやることがすごく好きでした。
小学校低学年の頃は、お正月に親戚が集まれば世良公則&ツイストの名曲を歌まねしておこづかいをもらうような子どもでしたね。中学生の頃は世の中が空前のバンドブームになり、僕もブームにしっかり乗って友達とバンドを組んで高校生くらいまで続けていました。人前で何かをやること自体好きでしたし、その高揚感に味をしめていましたね(笑)。
── 音楽の道という選択肢はなかったですか?
清水さん:
文化祭などで演奏することは楽しかったですが、プロのミュージシャンになるほど、秀でた才能があったわけではなく…。
普通に楽しい高校生活が終わり、大学に進学するか、就職するかとなったときに大学受験を選びました。親が大学に行かせてくれるというので、一応受験しようかなって。時代的にはちょうどバブルが終わる前後になります。だから、世の中が非常に浮かれていたわけです。
── 同世代なので、時代背景がしっかり分かります(笑)。
清水さん:
無事に東京の大学に合格し、新潟から上京しました。
当時の僕が抱いていたキャンパスライフのイメージはというと、夏は海、冬はスキーみたいなサークルで楽しい時間を過ごすこと。もう完全に映画やドラマで見ていた世界です(笑)。
ただ、僕が通った大学は夜間だったので、同級生は今の僕と同じくらいの社会人もたくさんいて、想像していたキャンパスライフを送ることもなく…。
何より、東京に行きたいという憧れだけで大学に進んだので、大学に対してのモチベーションもなかったんです。
「欽ちゃん劇団」合格もまさかの選択
── 想像とは違っていた大学生活、その後はどうなりましたか。
清水さん:
当時、中学を卒業してすぐに東京に出てバンドを始めた同級生と一緒に住んでいたのですが、やりたいことを見つけて頑張る姿は僕にはすごく眩しくて。
中学のときのバンド仲間で、ギターを弾いていた彼はのちに「MALICE MIZER」というバンドを組み、武道館でライブをするくらいの人気者になるので、今思えば、眩しいのも納得なのですが。
当時はまだデビュー前でしたが、彼と自分とを照らし合わせてみてもだんだんギャップを感じるようになって。このままダラダラと大学生を続けても…という思いもあり、1か月ほど地元・新潟に帰りました。
ついでに自動車免許を取ろうと教習所に通っていたのですが、その休み時間に見かけた雑誌で「欽ちゃん劇団」のオーディションを知ることになります。
── たまたまなんですね。
清水さん:
本当に偶然です。超スターの欽ちゃんの劇団、ちょっと受けてみようかと書類を送ったらオーディションに来てくださいとの連絡があり、行ってみたら受かっちゃったんです。
結局、劇団には入らなかったのですが、その理由はレッスン代。今思えば、3か月週6日、タップダンスやコント、発声など盛りだくさんな内容で5万円は超破格の最高の学びの場です。
でも当時の僕は若かったし知識もないので「営利目的の劇団にカモられる」くらいの気持ちしかなく、入らないと決めました。
でも劇団って「受ければ受かるのかな」と味をしめてしまい(笑)、オーディション雑誌で見つけた劇団にいくつか応募し、いちばん最初は映像もやっている劇団に入りました。
役者を続ける源泉は「高揚感」
── そこで「役者としてやっていく」みたいな気持ちが芽生えたのでしょうか?
清水さん:
殺陣師の先生がやっている劇団で、毎週のようにアクションシーンの撮影であちこちの現場に行くようになりました。Vシネマや不良モノの作品に多く出演しました。
自分の中で映像の作品に出ているという高揚感もあったし、レンタルビデオ店に行けば自分が出演したビデオも並んでいるので、すごく楽しくて。
でも同時に、このまま続けていたらその他大勢のままなんじゃないかと思い始めて、2年くらいでその劇団を辞めて。
芸能プロダクションに入らなきゃダメだと、再びオーディション雑誌で調べて22歳くらいだったかな、無事に芸能プロダクションに入り、映像の仕事を本格的にスタートさせました。
── 興味が湧いたら試してみる、でも違うと思ったらすぐに次の行動へという印象です。切り替えは早いタイプですか?
清水さん:
もし、本当に切り替えができるタイプだったら、とっくに役者は辞めていると思います。それこそIT企業に入って世の中の勝ち組のような道を選ぶと思うんです。
── 負け組のような意識があるのでしょうか?
清水さん:
食えない時代が長いと心が折れそうになる時期もあります。「遅咲きの俳優さん」などと紹介されている方の年齢よりも自分のほうがだいぶ上だと気づいたときなど、ターニングポイントはいくらでもあったと思うんです。
でもダラダラと来てしまったのか、やりたかったからなのか。本当の気持ちは正直自分でも分からないけれど、仕事が来たらうれしいし、舞台に立ちライブでお客さんとつくる空気感は、何にも変えられないエクスタシーのようなものがあります。そういうものがあって続けられてきたのかなと思っています。
── 高揚感は清水さんにとって大事な言葉のようですね。
清水さん:
そうですね、気持ちいいですから(笑)。
もし自分の人生をもっと俯瞰で見ることができていたら、ちょうどホリエモンや楽天の三木谷社長のような生き方を目指していたのかなって。同世代で彼らの活躍を目の当たりにしてきたので、余計にそういう思いもありますね。
PROFILE 清水 伸さん
俳優。1972年生まれ、新潟県出身。2022年の出演作は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』やドラマ『恋愛ディソナンス』、『ユーチューバーに娘はやらん』など。2015年よりニトリのCMに出演。劇団ふくふくやにて副座長を務めている。
取材・文/タナカシノブ 画像提供/清水伸