走ることが大好きだった高田千明(38歳)さんが、昨年の東京パラリンピック・女子走り幅跳びで疾走しました。清々しい跳躍を見せた彼女は取材中もつねに溌剌。徐々に視力を失っていくなかで、凛とし続けた源はどこにあるのでしょう(全3回中の1回)。
目が見えなくても包丁を使って弁当も作る毎日
いずれは全盲になる「先天性黄斑変性症」と診断されたのは、高田さんが5歳のとき。絵カルタで遊ぶ様子を見て、目の動きがおかしいことに父親が気づいたのがきっかけでした。
当時は正面が見えず、その周りがチラチラと見える程度。そのため、目をキョロキョロと動かし、見える部分に焦点を合わせながら物を認識していたといいます。
「赤ちゃんのころから活発で、ハイハイで階段をのぼるような子でした。いつも動き回っていたから、まさか目に障がいがあるとは誰も思わなかったらしいです。
病気がわかったとき、両親はとてもショックを受けたそう。それからは、私が自立できるように教育してくれました」
両親の教育方針は、目が見えなくても甘やかさないこと。「最初から“見えない”、“わからない”、“できない”とあきらめるのではなく、どうすれば何事も自分でできるか 」を考えられるよう、導いてくれました。
たとえば、探し物をしていても、母親は直接手渡してくれません。「あそこにあるからよく見なさい」と指をさされたそう。高田さんは、母親の指先を触って位置を確認し、自分で見つけていました。
「両親は、目が見える子どもと同じように接してくれました。“障がいを言い訳にせず、何でも自分でできるようになりなさい”が口癖でしたね。
両親の教育のおかげで、現在は視覚障がいがあっても、比較的自立して生活できています」
現在は結婚し、中学2年生の息子もいる高田さんは家事もひと通りこなします。朝5時半に起床し、家族の食事やお弁当づくりも担当。
「包丁もふつうに使います。むしろ、包丁で切るのに目って必要?と思うくらい。
小学校の調理実習で、“包丁で切るときは、片手を猫の手の形にして包丁の平に当てる”と習いますよね。そのとおりにすると、感覚でできるんです」
掃除はふだんからざっとしていますが、ホームヘルパーが週2回来てくれています。
子どもが小さいころは誤飲がないよう、小さなものや危ないものが落ちていないかチェックしてもらっていました。
「洋服を買うときは、外出に同行してもらうガイドヘルパーと一緒に行き、似合うかどうかの確認や、どんな色や柄なのかの説明をしてもらっています。
自宅で服を選ぶ際は、袖の長さ、質感などを触って服の説明を思い出し、着たときのイメージをしています。