ダンス教室の存続危機

──コロナ禍でどのような影響がありましたか。

 

田村さん:
池袋のスタジオを借りてレッスンをしていたのですが、緊急事態宣言が発令された2020年の春にいったんクローズしました。私は、「ダンスは対面じゃないと指導できない」と思っていたのですが、スタジオの家賃の支払いもあって運営が成り立たないからと、齋藤はオンラインレッスンも取り入れてみようと後押ししてくれたんです。

 

もともとは先生と生徒だったのですが、対等の立場で運営について2人で考えていきました。その後は、状況を見て人数制限を設けながらレッスンを再開し始めましたが、今までずっと好きなことをしてきたけれど、これからできなくなってしまうのかという不安もあって、人生を見つめ直す時期でしたね。

 

白河市の公認キャラクター「しらかわん」と記念撮影する田村さん(写真右)とアシスタントの齋藤さん(写真左)

齋藤は福島県白河市の出身で、もともとミュージカル俳優を目指して、就職した後の28歳から私のレッスンを受けていました。「子どもの頃から始めたかったけれど、そういう環境になかった」とか、「ひとりっ子なのでいずれは実家に帰ることも考えている」という相談も受けていました。

 

この頃私は、子どもの指導を始めたいと思っていた時期でした。それまで指導していたのは大人ばかりで、実は子どもは苦手だと思っていたんです。でも、子どもを指導する機会があって実際にレッスンをしたら、たまらなく可愛くて!

 

こちらの熱意を誠心誠意伝えていくと、みるみる変わっていく子どもならではの素直さ。周りの大人や環境でここまで変わるんだと思ったら、私も子どもたちの良い刺激になるような大人として関わっていきたいと思いました。

 

東京生まれ東京育ちで、ここを離れるという発想は元々は無かったのですが、コロナ禍を経験し、この場所でなくてもいいのではと思ったんです。

 

地方にはダンスをしたいけど、その環境がなかなか無いという話を聞いたのと、私が子どもたちの指導を始めたいという時期がちょうど合致して。

 

東京には生徒さんも私の母もいますので葛藤はありましたが、一度思ってしまうと、いてもたってもいられなくなってしまう性格。とにかく一度、白河市に行ってみることにしたんです。

 

アシスタントの齋藤さん(写真手前)とボートを楽しむ田村さん(写真奥)オフの日には自然に触れることが多い

新白河駅に着いた途端、空が本当に広くて。今まで見てきた空と同じとは思えないくらいで、とにかく感動し、心が洗われる思いでした。

 

「この空の元で生きたい!」と確信したんですが、齋藤は「先生、東京のようにスタジオもないので、まずは施設も見てください」と(笑)。

 

そのあと、公共施設を巡って、この床なら踊っても大丈夫、換気も大丈夫とひとつひとつ確認していきました。コロナ禍が想像よりも長引きそうだったので、2021年の2月末に移住しました。11月に下見をして、3か月後のことでした。