東京への憧れとアナウンサーを目指すまで

── 東京の大学に進学して就職しましたが、当時、故郷を出たいという願望はあったのですか。

 

中野さん:
18歳までずっと香川県に住んでいて、今は昔よりいろいろな施設もできましたが、映画館ができたのも私が高校生になってからでした。当時は、東京にすごく憧れがあって。都会にあるものがないので、中学生や高校生のときはそれが嫌で。

 

私にとってはテレビの中の世界がすごく楽しく見えていたんです。出ている人もみんなキラキラしていて、「いったいテレビの中はどうなっているんだろう、あの世界で働いてみたい」と思っていました。

 

進学した慶應義塾大学にはメディアコミュニケーション研究所があるんですが、そこでは現役のテレビや新聞、雑誌、広告の方が講師として来てくれるんです。スタジオなども見に行く機会もあって、ますます「こういう場所で働きたい」という思いが強くなりました。就職活動では、テレビ局や雑誌社など、発信する仕事を目指していました。

 

電車をバックに撮影する中野さんと長男。テレビ局で働くことは小さい頃からの夢だった

── 希望通り、フジテレビのアナウンサー試験に合格しました。

 

中野さん:
よく受かったと思います。正直、何が良かったのかわかりません。私が受けたときのアナウンサー試験は最初何人もいて、ブースに振り分けられるんです。ブースごとに面接官も違います。

 

レインボーブリッジが見える、フジテレビの上の階で面接があったのですが、面接官から「今そこから見える景色の実況をしてください」と言われました。突然だったので、うまく言えなかったと思うんです。でもその判断は面接官が誰かによっても違うと思うので、振り分けられる時点で運命が決まっていたのかなとか。

 

よく学生さんから、「どうしたらアナウンサー試験に受かりますか」と聞かれるのですが、こればかりは「運と縁」だと思いますね。