助産院なのに、お産を扱わず、産前産後・育児ケアに特化する。東京都昭島市にある「こもれび家」は異色の助産院。同院を立ち上げた助産師の高木静さん(40歳)は、産後の母親の多くが孤独に育児する姿に心を痛めていました。設立するまでの経緯を聞きました。
殺到する「赤ちゃんポスト」にショックを受けて
助産院「こもれび家」には、妊娠中や産後の母親はもちろん、その父親や祖母、地域の高齢者や独身の人までさまざまな人が集まります。
「ここは、誰でも気軽に集まり、皆で育児を楽しむ場所です。コロナ禍なので基本的に予約制ですが、母親は子どもを遊ばせながらおしゃべりを楽しめ、疲れていたらスタッフに子どもを預け、ゆっくり休んでもいいんです。
料理やピラティスのクラスも開催していて、年齢、性別、子どもの有無に関係なく参加できます。PTAの集まりに利用されることもあるんですよ」
そう話す代表の高木さんが「こもれび家」を設立しようと決意するまでには、助産師として、2児の母親としての経験がありました。
高木さんが新卒で働き始めたのは2007年のこと。就職先は熊本慈恵病院です。「出産は皆に祝福される幸福なもの」と信じ、希望にあふれていました。
「私が入社した年から、熊本慈恵病院では、育児できない人が匿名で赤ちゃんを預ける“こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)”が設立されることになりました。
赤ちゃんポストが始まっても、まさか利用する人はいないだろうスタッフの皆は思っていました。ところが開始したとたん、立て続けに赤ちゃんが入れられたんです。
こうした赤ちゃんのお世話も助産師の仕事。現代の日本で、赤ちゃんが育てられない人がこんなにもいるのかとショックでした」
また同院では、『SOS赤ちゃんとお母さんの妊娠相談』を行っていました。
妊娠したけれど、“パートナーが逃げた”、“経済的につらい”など、深刻な状況に置かれている女性たちの相談を受けていたのです。
「皆から祝福される幸せな出産にもたくさん立ち会う一方で、出産した瞬間、母親から引き離されて里親に託される赤ちゃんも。
こうした母親は、自分で産んだ赤ちゃんの産声もほとんど聞かせてもらえないんです。
当時の私はまだ20代前半。独身で出産経験もありません。まさか、こんなに追いつめられている人がたくさんいるとは想像もしていませんでした。
助産師の仕事は、赤ちゃんを取り上げるだけではないと気づいたし、困っている人をサポートする必要があると思いました。そのために、どうしたらいいのかを考えさせられました」
妊娠・出産した女性を取り巻く、厳しい現実を目の当たりにすることになった高木さん。もっと視野を広げたいと、同院を3年で退職。
その後、姉と双子の妹が東京で働いていたこともあり、東京郊外の産婦人病院に転職しました。