今年4月に長年勤めたTBSを退社し、フリーアナウンサーになった堀井美香さん。ジェーン・スーさんと歯に衣着せぬ“おばさん”トークを繰り広げるpodcast番組『OVER THE SUN』が人気を集め、新たなファンを掴んでいます。
2人のお子さんはともに成人を迎え、子育てはひと段落したという堀井さん。アナウンサーの産休・育休がまだ珍しかった時代に、仕事をやめるという道を選ばず、仕事と子育ての両立を経て、いまに至ります。当時を振り返り、話を聞きました(全3回中の1回目)。
「1秒でも早く帰らなきゃ」と焦る毎日も「仕事を辞める選択肢はなかった」
── 1997年に長女、2000年に長男をご出産されたとのこと。当時はまだ時代的にも産休や育休への理解が少なかったようですね。
堀井さん:
長女を産んだのが、入社して3年目のこと。当時は1年目の新人はアイドルアナ的な扱いで、私もレギュラー番組をいただいて毎日忙しく働いていました。でも、アナウンサーとしてのスキルはないし、ただ新人ということでスポットライトを浴びていただけ。何も成しえていない状態で、産休・育休をいただくことになりました。
約25年前のことですから、まだまだ考え方も昭和的。とくにテレビの業界は「勤めたら10年、20年は続けるよね?」という暗黙のルールがあったと思います。私はそういう常識を知らずに、入社2年目で結婚してしまったんです(笑)。
「いま妊娠するなんて」という社内の話を間接的に耳にすると、なんだか悪いことをしてしまったような気持ちになりました。でもその一方で、「復帰したら頑張りなさい」と言ってくださる先輩方もたくさんいて、その言葉は大事にしないといけないと思って。
「ご恩を返す」じゃないですけど、復帰してちゃんと働かないと会社に申し訳ないな、と思いました。だから、「仕事を辞める」という選択はなかったんです。
── ご主人はTBSの同期入社の方だそうですね。夫婦ともにメディア業界で働いていると、仕事と子育ての両立は大変だったのではないでしょうか。
堀井さん:
「イクメン」なんて言葉が存在しない時代でしたからね。しかも当時、夫はまだまだ下っ端で、家にいる時間はほとんどありませんでした。私は地方出身で、近くに両親も住んでいない。長女の出産のときはギリギリまで働かせてもらい、約1年間の産休・育休をいただきました。
育休明けは、ほぼ私ひとりの育児だったので、定期的にシッターさんにお願いしていました。職業柄、早朝や土日の仕事も多く、子育て制度が今のように整っていなかったので…。
たとえば、日曜20時からラジオ番組の放送があるときは、シッターさんに夕方に来てもらって、深夜1時まで見てもらう。深夜に出勤しなければいけない日は、シッターさんに前夜から泊まっていただくこともありました。
シッターさんのいない日は、1秒でも早く家に帰れるように、電車の最短ルートを探したりして。いつも「早く帰らなきゃ」という気持ちと隣り合わせで働いていました。体力的にも時間的にも大変だったと思います。それでも、仕事が好きだったし、やりがいを感じていたので、仕事を続けることは自然なことだったんです。
── ほぼワンオペ育児だったんですね。家事との両立も大変だったと思います。
堀井さん:
そうですね。自分のなかでひとつ決めていたのは、出社前の10分は、部屋の掃除をする時間にしていました。小学校になるとひとりで帰宅することが増えるので、子どもが帰ってきたときに部屋が散らかっていると切ないな、と思って。必ずリビングや玄関を片づけて、お菓子を置いておきました。
私の母も保育士で、忙しい人でした。だから、私も幼少期にひとりで帰宅することが多かったのですが、家がきれいだとうれしかったという記憶があるからかもしれません。