村正は“妖刀”ではなく“宝刀”
── 確かにそうですね。しかし、「妖刀村正伝説」は一体どうして生まれたのでしょうか。
不破宮司:
はっきりとしたことは私もわかりませんが、江戸中期頃から、戯曲や、刀剣の模様や傷痕から吉凶を占う「剣相」と呼ばれる占いが庶民の間で流行りました。これらが、妖刀伝説が広く世間一般に広まった原因のひとつではないかと言われているそうです。
しかし、「村正」を作った刀工自身の気持ちを考えたら…、一生懸命作った名刀「村正」が妖刀であると言われるのはかわいそうだと思いませんか…?
「桑名=村正」であることは、町の誇りです。神社に納められていたほとんどの刀剣は戦争で消失しましたが、戦災を逃れた2口の村正が奇跡的に残っています。
これは「妖刀」ではなく、「宝刀」であると伝えていくのが、代々村正を受け継いできた春日神社の宮司の使命だと考えるようになりました。そして、村正の特別展示を行ったり、写しを制作して春日神社で常設展示をすることに。
常設展示は、この春から行なっています。神社では、昔、明治天皇がご宿泊されたお部屋をリノベーションし、そこで代々受け継がれてきた村正の写しと本物の村正の短刀を一緒に展示しています。すでに1500人の方が足を運んでくださいました。
桑名には、村正の屋敷跡や、村正をモチーフにした和菓子などを購入できるスポットもあります。春日神社で村正の鑑賞を楽しみがてら、芸術品としての村正の魅力や歴史に思いを馳せながら巡ってもらえると嬉しいですね。
取材・文/酒井明子 写真提供/春日神社