近年、『刀剣乱舞』などの人気を背景に生まれたブームで、ますます注目されている刀剣。その中でも、「村正」という名前を聞いたことのある人も多いのではないでしょうか?村正とは一体、どのような刀なのか、村正の誕生の地・桑名市にある春日神社の不破義人宮司に伺いました。
村正は災いを起こす妖刀?
── 桑名は名刀「村正」を作った刀工一派の出身地で、春日神社には戦火を逃れた2口の名刀「村正」が残っているそうですね。村正の写し(複製品)を制作したそうですが、その理由は、桑名の人に村正の価値を知ってもらいたいという思いのほかにも何かあったのですか?
不破宮司:
ありました。クラウドファンディングで資金を募り、村正の写しを作ったのですが、その目的のひとつが、桑名の人に「桑名=村正」という事実や村正の歴史的な背景を知ってもらって誇りに思ってほしいということでした。そしてもう一つは、「村正について正しい知識を持ってもらって、郷土の宝としたい」と思ったからです。
── 「村正の正しい知識」とは?
不破宮司:
江戸時代から言われるようになった村正の「妖刀村正伝説」の誤解を解きたいと思ったのです。「妖刀村正伝説」とは、「村正は災いを起こす妖刀である」という言い伝えです。
その背景にあるのは、徳川家康の祖父も父も村正で殺害されていること、家康の正室とその長男が切腹を命じられて使われたのが村正だったこと、そして、家康自身も今川家の人質となっていた頃に村正の小刀で負傷しているということ。
また、家康の強敵の真田幸村が愛刀していたのが村正だったこともあり、家康が村正を忌み嫌っていた、と言われています。
── 周りの人が次々と村正で…。背筋が凍りますね。
不破宮司:
これだけ聞くと、村正は怖い刀だと思われるでしょう。しかし、「村正が妖刀である」というのは真っ赤な嘘なんです。
室町時代に生まれた村正はカッコよく、切れ味も良く、非常によくできた刀だったため人気があったそうです。大量生産により、お値段も手頃で大量に出回っていた。しかも、徳川のお膝元であった三河は桑名の隣町。三河の武将が好んで村正を使うのはごく自然なことだったようです。
「家康が忌み嫌っていた」と言われていますが、家康も村正が素晴らしい刀だと認めていて、側近に遺品として渡しているんですよ!
また家康の孫の千姫が、春日神社に家康の御分霊を祀った東照宮を建てています。本当に嫌っていたら、この土地に東照宮なんて作らないはずです。
その昔、春日神社の神事で、祭りの際に神様が移動される「渡御(とぎょ)の行列」というものがあり、そのときに持つ装飾品として村正が使われていました。神社には多くの村正が納められていたのですが、呪われた刀を神社に納めるわけがありません。