政治の世界は男のルールと語る金子さん

衆議院議員を5年間務め、現在はコメンテーターなどとして活躍する金子恵美さん。1児の母であり、同じく元議員の宮崎謙介さんとおしどり夫婦としても知られています。金子さんは29歳で政治の世界に入りましたが、若い女性が立候補し、政治家になることへの大きな壁も感じたといいます(全5回中の2回)。

 「村長の娘」立候補に地元の反発

── 2007年に29歳で新潟市議会議員に立候補されましたが、選挙はどのようなものだったのでしょうか。

 

金子さん:
私の地元の月潟村は2005年の3月に新潟市と合併し、2007年の4月から新潟市が政令市となった直後の選挙に私は立候補しました。父は村が消滅するまで月潟村の村長を務めていたので、合併後の2年間だけ市議を務めることになりました。父の後援会の方たちは、その後も市議会議員になってほしいと思っていた方が多かったみたいです。

 

でも実際には、選挙の前の秋ぐらいに私が立候補しよう思っている、と話をしたら「娘がやるなんてダメだ」「20代の女性が政治なんて」という猛反対にあいました。

 

正直「まだこんな時代遅れの感覚なのか」と思いましたが、「選挙に出る」と決めていたので、以前からおつきあいのあったマスコミの方にも出馬するという話をしたんです。そしたら「ミス関東代表の金子、選挙に出る」という報道が出てしまって。

 

地元に詳しく説明をする前にニュースが出てしまったこともあり、「順番が違う」と怒られて。それはその通りだなと思いながらも、なんとかお話してうまく修復していけるかと思ったら、地元で総スカンにあってしまったんです。

 

── お父様がお話ししても難しかったんでしょうか。

 

金子さん:
元村人の皆様が応援してくれないどころか、父が説明に回っても居留守を使われて。みるみる痩せこけて精神的にもおかしくなっていく父を見て「えらいことを決断してしまったな」と思いました。

 

でも、父に申し訳ないなと思いながらも「私やっぱり出馬するから、これから毎日街頭に立つから」と言ったんです。1月、2月で新潟の街頭で雪が降るなか、朝晩2時間ずつ国道沿いやいろんな場所で立っていました。

 

選挙前には自分の名前が書かれタスキがかけられないので、ただひたすら「この街をよくしたい」みたいなことをしゃべるんです。他の陣営の方からタバコを投げつけられたり、「小娘が」みたいなことも言われたりしました。

 

でも街頭に立つ間、父が大雪のなか、「いま、新風を!」というのぼり旗を持ってただじっと立っていてくれたんです。それを見た瞬間に「この選挙は絶対に負けるわけにはいかない」「なんとしても勝ちたい」と思って、なお奮起して頑張りました。