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「次こそは」期待とつらさが交差する不妊治療を経て 特別養子縁組を知る

子育て

2021.12.23

生後間もない赤ちゃん生まれたばかりの赤ちゃん

2020年秋、特別養子縁組で生後10日の赤ちゃんを家族に迎え入れた犬山ポポさん夫婦。その数日前の心境を、犬山さんはTwitterでこう呟いていました。

特別養子縁組で迎える、もうすぐ産まれてくる赤ちゃんが退院の日に着る服を買った。
無事に産まれてくれますように。


世界中のお腹をすかせている、ひとりで泣いている、震えている、何かに怯えている子どもがひとりもいなくなる日が、一日も早く来ますように。

赤ちゃんに会うのを楽しみにしているツイート実際の犬山さんのツイート

それから約1年が過ぎた現在、息子さんは周囲からたっぷりの愛情を受けてすくすく成長し、今では保育園に通うように。友人やご近所さん、保育園の先生方にも、特別養子縁組で家族になったことはオープンにしているそうです。

 

血の繋がりがない子どもを育てる「特別養子縁組」という家族の形を選んだ犬山さん夫婦。

 

全3回のインタビュー、第1回は夫婦が不妊治療にどう向き合い、どんな経緯で特別養子縁組を知ったのかについてお聞きします。 

予想外だった男性不妊

── まずは、犬山ポポさんの経歴について教えてください。

 

犬山さん:

1歳3か月の息子と11歳年下の夫、2匹の猫と暮らしながら、愛知県で喫茶店を経営しています。20代のころはバックパッカーで、夫との出会いは旅先のインドでした。結婚生活は8年目ですね。

 

── 結婚当初から、「いつかは子どもを」という思いはあったのでしょうか。

 

犬山さん:

私は過去に保育士の仕事をしていましたから、もちろん子どもは好きでした。でも絶対にどうしてもほしいとまでは正直思っていませんでした。

 

一方で、「結婚すれば自然にできるだろう」とも思っていたんですね。40歳前後で妊娠・出産している人が周囲に結構いたので、自分が30代で結婚したときも焦る気持ちはほとんどありませんでした。

 

ところが、いつまで経っても妊娠しないので、漢方薬や排卵検査薬を使って自己流で妊活を始めたんです。それでもできなかった。私も当時39歳という年齢だったので、「念のため一度病院で検査をしてみようか」と夫婦で検査をしました。

 

結果は予想外でした。私は年齢のわりには意外といい数値だったのですが、夫が極度の乏精子症と診断されたんです。

犬山さん夫婦夫と喫茶店を営んでいる犬山さん

── 精子の数が少ない乏精子症は、男性不妊の原因のひとつです。

 

犬山さん:

最初に診断を聞いたときは頭が真っ白になりましたね。当時、夫はまだ28歳と若かったし、私も夫も男性不妊の可能性はまったく想像していなかったんです。むしろ私の年齢的なものだろうな、と医師の先生も含めて皆が予想していたくらいで。

 

数値と診断を踏まえると、自然妊娠は医学的に不可能だし、通常の体外受精でも無理だと言われて、すぐに顕微授精のステップに入りました。

「なぜ私だけが」というつらさ

── 顕微授精は1回のトライで数十万円かかる高額な治療です。さらに、女性の心身にかかる負担も大きいですよね。

 

犬山さん:

そこは本当につらかったです。仕事をしながら片道45分かけて病院に行き、注射1本打って帰るような日々がずっと続いて。体の負担はもちろんですが、精神的なつらさのほうが私にはきつかったですね。

 

採卵前には10日間連続で病院に通い、卵がなくなったらまた採卵して、という日々を繰り返していました。

 

費用面では自治体の助成金には助けられましたが、後半はそれではたりなくて自費でやらざるを得なかった。経済的にもだいぶ圧迫されました。

 

── 治療中、夫婦関係に変化はありましたか。

 

犬山さん:

不妊治療の2年間でケンカがめちゃくちゃ増えました。終わりが見えない治療のなかで、痛みとつらさ、「なんで私ばかり」という気持ちがどんどん膨らんでしまって。

 

見かねた夫が、「もうやめよう」と助け舟を出してくれたことは何度かあるんです。でも、「次こそはきっと」「ここまで頑張ったんだから」と思うと、私としてはどうしても諦めきれなかった。

 

結局、3回採卵したのですが、最後の採卵の直前にはふたりともあまりに追い詰められていて、罵り合いから殴り合いのケンカに発展してしまったくらいで。

 

特別養子縁組に初めて意識が向いたのは、「これで本当の本当に最後にしよう」と決めた最後の移植のときでした。

友人夫婦が特別養子縁組で家族に

── 何がきっかけで特別養子縁組の制度を知ったのでしょう。

 

犬山さん:

最初にその存在を知ったのは、不妊治療の中盤に観た『夕陽のあと』という映画でした。産みの親と育ての親、2人の女性を中心に描いた作品なのですが、そのパンフレットに「特別養子縁組とは?」という解説があって、「そういう制度があるのか」とそこで初めて意識しました。

 

決定的だったのは、隣町の友人夫婦が特別養子縁組で男の子を迎えたことです。以前からの知り合いが実際にそれで家族になったと聞かされて、一気に特別養子縁組という制度が自分たちの中で現実味を帯びたんですね。

 

それで、夫婦で友人夫婦のところに話を聞きに行ったところ、やはり彼女たちも不妊治療を経験していたんです。でも早い段階でスパッと諦めて、行政を通じての特別養子縁組を選んだ。そこから児童相談所の研修を1年くらい受けた直後に、行政にしてはありえないほどのスピードで委託の連絡が来て、育てることになった、と。

 

話を聞いて「すごいな」という尊敬と、「血の繋がらない子どもを育てるという大それたことを自分たちはできるのかな」という不安が入り混じったことを覚えています。

 

ただ、実際に息子を迎えて育てている今は、自分たちがすごいことをしているとは全く思ってはいませんが。

 

私たちにできるかどうかはわからないけれども、話だけでも聞いてみよう、と思って児童相談所を夫婦で訪れたのが最初の一歩でした。

 

── 特別養子縁組へのアクションは、最初から夫婦で一緒だったのですね。

 

犬山さん:

それは振り返ってみると、不妊治療中のケンカのおかげでもあるんですよね。あのとき、とことんケンカをして真剣に向き合ったおかげで、「私の子ども」ではなく、「私たちの子ども」について考えるんだ、という足並みが夫婦で揃った気がしています。

 

 

不妊治療を乗り越えて、パートナーとしての絆を深めた犬山さん夫婦。インタビュー第2回では、実際に息子さんを迎え入れるまでの日々についてお聞きします。

 

PROFILE 犬山ポポさん

大阪府出身、愛知県在住。30代のときに11歳年下の夫と結婚後、2年間の不妊治療を経て、2020年9月に特別養子縁組で生後10日の男児を家族に迎える。現在は夫婦で喫茶店を経営しながら、保育園に通う1歳の息子、看板猫2匹と暮らす。息子さんとの出会いから現在までの家族の日々はTwitter(@inuyamabotan)でも綴っている。 

取材・文/阿部花恵 写真提供/犬山ポポ

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