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厳しすぎる親のしつけに「…それでもありがとう」の意味

子育て

2021.06.18

中学生のトニーニョくん(15歳)と3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんとジャーナリストの夫・トニーさん。

 

夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。

 

今回は、前回(※)に引き続き「子どものしつけ」について。トニーさんが受けた両親の厳しいしつけを振り返り、今思うことを語ってもらいました。

厳しすぎる親のしつけに「…それでもありがとう」の意味

「私が正しかったとわかる日がそのうち来るよ」。母親は自分のしつけの方法について何度か私にこう言った。

 

そんな日、来るのかな。「ああ、なるほど、納得。私もわが子をそのとおりに育てよう」と言えるとき。その日が来るのをまだ待っている。

 

両親の考え方を評価できる部分はないことない。なんせ、どうにかして子ども時代を無事に生き残れたのだから。しかし、しつけとなると…。おおむね間違っていただろう。

「親の言うことが絶対」という環境で育った子ども時代

そもそも両親の権力の捉え方に問題があったように思う。「親の言うことは絶対的に正しい」という前提で、「言う通りにしろ」と命令形で子どもを育てようとしていた。

 

こういうやり方だと、親が提示する道が、子どもの現実からかけ離れている。あるいは、別の理由から理想でない場合がある。だから子どもはときに「親の言うこと」に従いきれない。またときには思いきいってそれに逆らおうとする。

 

そして、そういうときはたいてい罰が待っている。罰されるのを避けたいので、子どもは時に嘘をつく。その嘘がばれ、さらなる罰が待っている…という循環メカニズムになる。わが家の場合はだいたいこんな感じだった。

たとえわが子であっても、権力を振りかざすのは違う

保護者の権力をどう考えたらいいか。たとえば、道を飛び出す小さな子どもを親が止めるのは当たり前のこと。しかし、権威は常にその正当性を証明しなければならない、と主張している人がいる。僕よりずいぶん自由に育てられたと思える言語学者のノーム・チョムスキーがそうだ。

 

彼は、保護者がわが子を車から守ろうとする行為すらも「自動的な正当性がない」としている。飛び出し防止の場合、権威について語るのは考えすぎだと僕は思うが、「保護者は自分の権威を当然のものとして考えないほうがいい」という点に対しては頷ける。そして残念ながら、わが両親はチョムスキーなど読んでいなかった。

 

多くの人が「子供は甘やかすとダメになる」と信じていた時代だったから、わが家にはこういう「絶対的権威をもつ観」が生まれたのだと思う。確かに、子どもを甘やかしてばかりいるのはよくない。でも逆に、多くの選択肢からより良い道を選んだり、失敗から学んだりできる余裕を子どもに与えるのも大事。

 

また、“嘘”についてはどうだろう。規則として「ダメ」としても、子ども自身が事実を美化し、もしくは事実を多少歪めて言い訳できる環境も大事。こうした経験により、言いがかりから自分を守る話術なども身についていく。この技術なしでは、たとえば弁護士や政治家を目指すのは到底無理だ。

厳格な親が言い渡した“外出禁止令”で僕の世界はむしろ広がった

ちなみに、両親のしつけに対してありがたみがないわけではない。あるとき、僕が犯した何かの罪に対し、罰として“外出禁止令”を被った。これは2、3か月続くもので、その間はテレビも観られないし、音楽も聞けないし、電話も使えないという状況だった。

小栗さん連載20話イラスト

宿題以外に唯一許されたのが読書。それがきっかけで、部屋にあった百科事典を読みはじめた。あまりにも面白くて好奇心を満たせるものだったので、気がついたら最初から最後まで(30巻!)を通読したことになった。読み終わっても禁止令の期間が続いていたので、さらにもう一回、読み通した。

 

それがきっかけで、いろんなことを知った。そして百科事典に含まれていないであろう世界についても知りたくなった。

 

父上、母上、あのとき永遠と続いた“外出禁止令”で人生が変わった。感謝しているよ。

文/トニー・ラズロ イラスト/小栗左多里

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