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【お札のデザイン刷新】子供に聞かれたら答えられる?津田梅子ってなにした人?

子育て

2019.06.04

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20年ぶりのお札のデザイン変更が発表され、その注目度が高まっているのが渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎の3人です。「お札になるぐらいだから、きっとすごい人なんだろうけど……具体的に何をしたのかわからない!」なんて方はいませんか?

子どもに聞かれたら意外と困る!? 今回は津田梅子について、どんなことをして歴史に名を残した人なのか紹介していきます。津田梅子に関する基礎知識を身につけて、スムーズに答えられるよう準備を整えておきましょう!


■津田梅子とは?

津田梅子という人物を語る上で、もっとも特徴的なのが「津田大学の創設者」という点です。1864年、江戸時代に生まれた女性でありながら、優れた国際感覚を身につけ、女性のための高等教育機関を作り出しました。

現代では女性と男性は同様に社会で活躍していますが、津田梅子が生きた時代においては、現代よりも過酷な状況であったことでしょう。そうした環境の中でも、津田梅子は女性リーダーの輩出のために力を尽くし、女性の社会参画の扉を大きく開いていったのです。

津田梅子は、わずか6歳のときに岩倉使節団と共に欧米視察に参加しています。当時のメンバーの中で最年少の女子留学生として、現地で初等教育を受けます。その後もアメリカの教育を受けた梅子は、ラテン語、フランス語に英文学、自然科学や心理学、芸術などを幅広く学んでいきます。

卒業後はいったん帰国するものの、再度、より高度な教育の機会を求めて、アメリカの大学に再留学します。その後は女学校の教授として活躍していきます。

当時の女子学校で教える内容といえば、花嫁修業的な意味合いが強い物事が中心でした。しかし世界基準の教育を受けてきた津田梅子にとって、これは非常に窮屈なものだったのでしょう。また日本の女子教育の水準の低さに、衝撃を受けるきっかけにもなりました。だからこそ津田梅子は、より自由で、高度な視点での教育を、女子学生に対して行っていきます。

現代の津田塾大学の前身となった女子英学塾を創設したのは、1900年のことでした。華族平民を区別することのない女子教育を行ったのです。

女子教育にその生涯をささげた津田梅子の肖像が、これから先の日本のお札に使われるということ。男女が同等に活躍できる社会を目指していくこれからの日本において、象徴的な出来事であると言えるのかもしれませんね。

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