私鉄では当たり前に見られる種別「急行」。一方、JRでは急行という種別はないような気がします。実際のところ、JRには急行はあるのでしょうか。私鉄の急行との違いは存在するのでしょうか。今回はJRの急行にスポットを当てます。

かつては存在したJRの「急行」

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先に答えを書いておきます。2018年9月現在、JR線内にて定期で運行される急行はありません。したがって、JRには急行はない、と考えていいでしょう。

 

定期の急行がJRから姿を消したのは2016年のこと。最後に残ったのは青森~函館を結ぶ急行「はなます」でした。 ところで、私鉄の利用者は「あれっ」と思うかもしれません。JRの急行は多くの私鉄とは異なるものでした。急行は特急と普通の中間に位置するだけでなく、普通よりも少しリッチな車両を利用していました。そのため、急行に乗車するには乗車券の他に急行券が必要でした。

 

なお、現在の大手私鉄では特別券が必要な定期で運行される急行はありません。 JRの前身である旧国鉄時代は特急と並んで、全国各地で活躍していました。しかし、年を追うごとに急行は数を減らすことに。やがて、人々から忘れ去られる存在になったのです。

JRの「急行」はどんな感じだったの?

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筆者は急行に何度か乗車したことがあります。ここでは特に印象に残った岡山と鳥取を結んだ急行「砂丘」を紹介しましょう。

 

当時、岡山~鳥取間には特急は設定されていなかったので、「砂丘」は最上位の優等列車として君臨していました。 「砂丘」に乗車したのは1997年のこと。同列車が廃止される直前に乗車し、岡山県の津山から鳥取県の智頭まで利用しました。

 

「砂丘」に使われていたのは急行型気動車、キハ58系。当時、キハ58系は老朽化が進んでいたので、特急と比べると見劣りしたものです。車内は新幹線で使われていた簡易リクライニングシートを採用。特急と比べると快適性は劣りますが、普通よりはリッチな気分になれました。 普通と比べると小駅は通過するので、速達性には優れていました。

 

一方、最高速度は直線でも60キロ~70キロほど。特急と異なりのんびりとした優等列車でした。 1997年10月のダイヤ改正で「砂丘」は廃止。代わりに特急「いなば」が新設されました。

寝台付きの急行列車も存在した!

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何と急行は昼間だけでなく、夜行列車も存在しました。しかも、ベッドがある寝台車が連結されていたのです。これらの列車は昼間の急行列車と区別するために「寝台急行」と区分されていました。

 

筆者は一度だけ寝台急行に乗車したことがあります。利用した寝台急行は大阪と出雲市を結ぶ「だいせん」。長きにわたって、関西~山陰間の輸送で活躍しましたが、2004年10月のダイヤ改正で廃止されました。

 

「寝台急行」と「寝台特急」の違いは二つあります。一つ目は座席車の有無です。「寝台急行」には寝台車のほかに座席車が連結されていました。もちろん、「だいせん」にも座席車が連結され、帰宅するビジネスパーソンが乗車していたように記憶しています。中には東京~大阪間を結んだ「銀河」のように寝台車だけで構成される「寝台急行」もありましたが、あくまでも例外です。一方、「あさかぜ」や「はやぶさ」のような「寝台特急」には座席車は存在しませんでした。

 

二つ目は深夜帯の停車駅です。「寝台急行」は深夜帯であっても、主要駅に止まります。「だいせん」の場合、1時から3時にかけて、兵庫県の和田山、豊岡、城崎、柴山、香住、浜坂に停車。一方、同じく山陰本線を走っていた寝台特急「出雲1号」は名古屋を23時25分に出ると、福知山(2時59分着)まで止まりませんでした。このように「寝台急行」も昼間の急行と同様に、のんびりとした優等列車でした。

なぜ、JRの「急行」は廃止されたの?

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JRの「急行」が廃止された理由は多岐に渡ります。そこで、ここではザックリと解説します。一つには「急行」が持つ中途半端な性格です。先ほど書いたとおり、「急行」は特急と普通の間に位置づけられました。国鉄末期からJRにかけて、特急は庶民的になり停車駅は増加。一方、快速は快適になり、スピードでは特急に引けをとらない列車も誕生しました。ちょうど、急行は特急と快速にサンドイッチされる形で行き場を失ったのです。

 

二つ目は高速バスの台頭が挙げられます。ご存知のとおり、高速バスは低価格ながらも、車内は快適になりました。「急行」は特急と比べると料金は安いですが、高速バスの低価格には負けてしまいます。次第に、価格を求める利用者は急行から高速バスへとシフトしました。JRの急行が消滅した理由は時代の流れ、ということになるのでしょう。

 

文・撮影/新田浩之
※本文記載中のダイヤは1987年5月号の時刻表を参考にしました。