野村證券で女性の総合職第一号、MBA取得、さらにゴールドマン・サックスでも証券業界の最前線で活躍した屋代浩子さん。2001年に夫と設立したフォルシア株式会社では、高度な検索技術サービスで企業の課題解決を進め、成長を遂げてきました。

 

一方で、設立後5年間は売り上げがなく、その最中に家庭と仕事のパートナーである夫に大病が見つかるなど、多くの苦労も経験しています。そんな屋代さんが当時を振り返り、あらためて感じる仕事と家族に対する思いとは。

フォルシアの屋代社長
代表取締役社長 最高経営責任者(CEO) 屋代浩子さん(写真左)。1988年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、野村證券に入社。金融工学を利用したデリバティブの開発に携わった後、マサチューセッツ工科大学でMBAを取得。ゴールドマン・サックスにてデリバティブの開発・マーケティングに従事した後、2001年フォルシアを起業。

起業後、窮地に立たされた時期に夫が大病を患い…

── 会社設立後は順調だったのでしょうか?

 

屋代さん:

フォルシアを設立してから5年間は売り上げがほぼゼロで、特に最初の2年はとにかくお金がありませんでした。そのうえ、生後6か月、16か月、3歳の子どもがいて…そんなときに、夫の大病がわかったんです。

 

── そんなことがもし自分の身に起きたら、「今度こそもうダメかもしれない」とくじけそうです…!

 

屋代さん:

さすがの私も、もう本当にダメかもと諦めかけました。夫の入院と同時に、会社をたたむ準備をしようかと一瞬本気で考えました。

 

でも、夫にとっては会社が生きる希望だったんです。「会社をしっかりと継続させることが自分にとって心の支えになる。見舞いや看病はしなくて良いから、頼むから続けてくれ」と。そこまで強い思いを持っているなら私が頑張るしかない、と腹を括りました。

 

そう決めてからは、社員たちの生活を預かっている責任を果たすためにも必死に奔走しました。結果的に、3か月後に夫は退院できたのでよかったのですけれど。

 

── それは何よりでしたね。とはいえ、その3か月は相当しんどい思いをされたのでは。

 

屋代さん:

そうですね。ただ、子どもたちもいたし、日々やらなければならないことをこなすので精一杯。文字どおり悩む暇もありませんでした。逆に言えば、だからこそ耐えられたように思います。

「先々の不安より未来の楽しみにフォーカスできる」のが私の強み

── 日々走り続けるしかない大変な状況で、ご自身が倒れるわけにもいかなかったわけですよね。何か支えのようなものをお持ちだったのでしょうか。

 

屋代さん:

結局不安を生み出すのは自分の心なんですよね。だから、先々の不安要素について考えないことを徹底していました。おそらくこれは私の特技だと思うのですが、「考えるのをやめよう」と思ったら本当に考えずにいられるんです。

 

それに、夫が大病したときは子どもたちはまだ幼くて、私が泣く前に子どもたちが泣くから、泣いている場合じゃなかったし(笑)。

 

私は嫌なことや悲しいことよりも、現実や楽しいことにフォーカスできるタイプ。これは、これまでの人生の教訓から、自分自身で編み出した才能だと思っています。

 

そのせいか、私は一見、不幸な経験がない人間のように見えるらしいのですが、不幸は嬉しさと同じボリュームで人生に存在しているんですよね。これまで、悲しい気持ちは切り離して現実や喜びだけを見ようと、自分のなかで必死にコントロールしてきたので、人には気づかれなかったのかもしれません。

フォルシア 屋代社長とその家族
2001年12月撮影の家族写真。この年の3月にフォルシアを設立した

── きっとこれまで、人より多くの経験をされたからこそかもしれませんね。

 

屋代さん:

人生には悲しいことも嬉しいことも両方あるのに、悲しいことしか目に入らず、自分にはない世界をうらやましくなることってあると思うし、その気持ちもわかります。でも、私は目の前にある現実をどう越えていくかだけを考えて生きていきたいし、そうやって生きてきたから今があると思っています。

5年間売り上げが立たないなかで気づかされた「当たり前の事実」

── これまでのキャリアのなかで、特にしんどかった時期というのは?

 

屋代さん:

やはり起業直後の5年間ですね。売り上げがほとんど計上できませんでしたから。

 

原因は、私たち夫婦が過去の実績に縛られていたこと。証券業界で大きな仕事を経験したことで「自分たちには高い能力がある」と勘違いしていたんです。

 

でも、会社員時代に私たちが実績を上げられたのは、野村證券やゴールドマン・サックスといったネームバリューがあったからこそ。そのことに経営的な窮地に立たされてようやく気づいたんです。遅いですよね。

 

今や何の後ろ盾もなく、信用も実績もない。そんな自分たちの現実に大きな挫折感を味わいました。それが5年間続いたので、しんどかったですね。

 

── 5年に及んだピンチをどう切り抜けたのでしょうか。

 

屋代さん:

まず、「いいものをつくり、ロジカルにその魅力を知ってもらえれば売り上げにつながる」という思い込みを捨てました。人々がサービスを買ってくれるいちばん大事な要素は、そのサービスをつくっている企業や人の誠意やパッションなんですよね。

 

誠意やパッションとは、自分自身が内側から熱を生み出し、あふれ出る思いを行動に変えて、相手に伝播していくことでのみ生み出されるものです。自分たちの思いと行動が伴っていったことで経営も上向きましたが、誰も何も買ってくれなかった5年間は本当に大変でした。でも今思うと、フォルシアにとっては、とても大切な時間だったと思います。

カッコいいキャリアの裏側には「ドロドロな毎日がある」

── これからの目標は何でしょうか?

 

屋代さん:

これまでたくさんの方々に支えられてきたので、これからは支える側にまわりたいです。私たちが長年かかって気づいたことを若い人たちに継承することで、世の中のためになるサービスがたくさん生まれたら嬉しいですね。

 

プライベートでは、子どもたちが子育てと仕事を両立できるように最大限サポートしたい。両親や義理の両親がしてくれたように、今度は自分たちが支えたいという思いです。

 

── ご自身の経験を踏まえて、仕事や育児を頑張っている女性たちにどんな言葉をかけますか?

 

屋代さん:

子育ても仕事も、つい大変なことに目がいきがちですが、楽しむ工夫をできるといいですよね。特に仕事は大変なことがあるからこそ、達成感も大きいのだと思います。

 

たくさん笑って、たくさん困って、仕事仲間や家族や子どもたちに囲まれながら、「一人じゃない」という幸せをかみしめ、毎日を楽しんでほしいです。

 

── 「毎日を楽しむ」。簡単なようでなかなか難しいことだと感じます。

 

屋代さん:

ときとして、周囲の誰かがカッコよく見えたり、一目置かれるキャリアを築いているように見えたりするものですが、その人たちの内実も、きっとドロドロなのではないでしょうか。生々しいドロドロの状態を、ぜひ楽しんでほしいと思います。

 

たとえば、人と比べて「私は家のなかがこんなにグチャグチャなのに」と落ち込んでしまうようなことも、それは部屋を散らかす子どもたちがいるからこそ。思春期の子どもたちはびっくりするようなけんかもしますが(笑)、すべての経験に意味があると思うんです。

 

ドロドロなことも嬉しいこともすべて同じボリュームでパッケージされていて、それが楽しい人生なのだと思います。そんな日々を楽しみながら生きる女性が増えることを願っています。

取材・文/高梨真紀 画像提供/フォルシア株式会社・屋代浩子さん