夫の両親との三世代同居も15年超。どんどん図太くなる同居嫁の私でも、義両親に言いたくても言えないことはまだまだあります。
今回は、義父母の何気ない言葉が、じわじわプレッシャーになる…というお話です。
息子の「自転車通勤」に不満気な義父母
「今日は夫くんを迎えに行かないの?」「明日の朝は夫くんを送って行ってあげるんでしょう?」
義父母からこう聞かれるたび、私の心は毎回ざわつきます。
現在、私は週に3日ほど外で仕事をし、それ以外に在宅での仕事も抱えています。
出勤日は朝早くに家を出て帰宅も遅くなるので、その日の私はほぼ家事戦力外。問題は、出勤日以外の、私が家にいる日のことです。
わが家には一台の車がありますが、私が家にいない日は夫が車通勤で職場に乗って行きます。私が家にいる日は買い出しなどで車を使うので、夫は自転車で通勤します。
この自転車通勤が、どうも義父母の目にはとても「かわいそうなこと」と映るらしいのです。私が家にいるのだから、車で職場まで送迎してあげればいいのに…ということです。
しかし、夫の職場までの所要時間は、車ならば渋滞もあり往復で1時間程度。自転車で通勤するのと大差ない時間がかかるのです。
そもそも夫は、以前はバイクで通勤していました。そのバイクが手入れ不足であちこち傷んできたものだから、自発的に自転車通勤を始めたのです。私が何度「バイク屋さんで修理してもらいなよ」と言っても聞かずに…です。
さらに夫の終業時間は不規則。「これから迎えにきて」と連絡がくるまで、私はいつ呼ばれるかわからず、お風呂にも入れません。そうやって待つのもけっこうなストレスです。
私は在宅していても暇ではない
何より、私は在宅しているからといって、決して暇なわけではないのです。
出勤日にはできない食料品・日用品の買い出しや、子どもたちの面談などの細々とした学校行事、習い事の送迎、そして私や義父母の持病の通院などなど…。
細々とした日常の雑事を、なんとか出勤日以外にねじ込んで、それ以外の時間は目一杯休息を取っています。そうしないと、うつ病持ちの主婦はあっという間に倒れてしまいます。
義父母から見たら部屋でダラダラしているように見えるのかもしれないのですが、私だって好きでダラダラしているわけではないのです…!日常生活を止めないために、ほかにやりたいこと、やらなくちゃいけないことに無理やり目をつむって休養しているだけなのです…!
義父母の要求を拒否してみた
義父母の「迎え行けコール」に対して「いや、今日は迎えに行きません!」とあくまでも拒否の姿勢を表明したこともあります。
しかし、義父母から返ってくるのは「でも夫くん疲れてるよ?」とか、「今日は寒いのに?」などという追撃です。
これを言われると、つまり言外に
「休みの日なのに、寒い思いをして疲れて帰ってくる夫を迎えに行ってもあげないの?」という非難を含んでいる…ように感じてしまうのです。
義父母が、可愛い息子を自転車通勤させたくないのはよーくわかります。
でも、言うだけなら5秒ですが、実際に迎えに行くのは1時間、プラスその前後の予定が立たない数時間。嫁に丸投げするのはやめてくれませんか?
夫から気持ちを伝えてもらってみた
この問題が根深いのは、当の夫本人が、私の送迎をあてにしていないということです。私が「迎えに行きますよ」と言わなければ自力で自転車で帰ってくるし、来てくれるならありがたい、と車に自転車を積んで帰ってきます。
夫には義父母から私へのプレッシャーは見えておらず、あくまでも私が自発的に迎えに行っているだけとしか捉えられていないのではないか…。そう悟った私は、夫に「毎回お義母さんたちに『迎えに行かないの?』とプレッシャーをかけられるのが辛い!」と訴えました。
そうして夫から義父母へ「自力で通勤できるから、妻に送迎しろって言うのはやめてほしい」と伝えてもらったのです。ところが…!
義母からの驚愕の答え
義母から夫へかえってきた答えは「えっ、迎えに行けなんて言ったことないわよ!」というもの。
なるほど、確かに義父母は迎えに行けと命令はしていません。あくまで「行かないの?」と聞いただけ…それを勝手にプレッシャーに感じる私が悪い…悪いのか?いやそんなに悪くないでしょ?まして断っても再度言われたらそりゃプレッシャーだと思うのが自然じゃないですか?
そんな割りきれない思いを抱えながらも、「迎えに行かないの?と聞かれるだけでもプレッシャーになるので…私も決して迎えに行きたくないわけではなくて、天気とか自分と夫の体力とかといろいろ相談して、行けるときは行くようにしますので…」と説明しました。
おかげで現在は、とりあえず義父母からの「迎えに行かないの?」プレッシャーはなくなりました。
時折義母の口から「今日は迎え…は行かなくてもいいわね!お天気だしね!」と無理やり軌道修正した台詞が出てきたりはしますが、一応、気遣ってくれているんだな…少なくとも以前よりはずっと…と、なんとか前向きに捉えることにしています。