大木優紀さん

テレビ局という華やかな世界を離れ、41歳でベンチャー企業に飛び込んだ大木優紀さん。「わからないことばかりで苦戦する日々だけど、2種類の人生を楽しめて得した気分」と笑顔で話します。

 

今回の特集テーマは「やり直せる社会」。大木さんが考える「やり直せる社会」とはいったいどんなものなのでしょう?勤務して約3か月が経ったという、新しい勤め先でお話を聞きました。

「40歳」はただの数字じゃなかった

── 昨年12月に18年間半勤めたテレビ朝日を退職され、今年から旅行に特化したベンチャー企業「令和トラベル」に転職されました。きっかけは何だったのでしょうか?

 

大木さん:一昨年、40歳になりました。40なんてただの数字だと言う人もいますが、私はけっこうグッとくるものがあって。アナウンサーとしてもう一歩、どうにか頑張りたいと思っていましたが、年齢を重ねていくうちに、画面に出続けることが難しくなる職業だということも実感していました。

 

その翌年、たまたま令和トラベルの篠塚孝哉社長のブログ(note)を読んで、「この会社に入りたい!」と直感で思ったんですよね。絶対に楽しいだろう、って。

 

それまでテレ朝に不満があったり辞めたいと思ったりしたことは一度もなかったのですが、2つの仕事を同時進行はできません。選択せざるを得ないと思い、退社を決めました。

大木優紀さん

── 迷いはなかったですか?

 

大木さん:なかったんですよね。私自身、それがダメなことだと思わなかったし、怖くも感じなかった。共働きなので、もし私が潰れてもどうにかなるだろうというありがたさはあったかもしれません。

 

夫は「面白いじゃん!」と背中を押してくれて、同僚や後輩からは「大木さんらしいね」と。キャリアチェンジに興味を持ってくださる上司もいて、頑張れよって応援してもらいました。冗談半分で「騙されてない?」なんて声もありましたが(笑)。

コロナ禍にあえて旅行業界へ 

── 旅行業界が厳しい局面を迎えている時代です。その点に不安はありませんでしたか?

 

大木さん:社長の「(いまはコロナ禍で難しいけれど)5年後10年後にはまた絶対、日本人は海外旅行に行く」という言葉に、深く納得しちゃったんです。

 

旅行業界全体が非常に大きなダメージを受けている今こそチャンスっていう逆転の発想がすごくいいなぁって。投資の感覚に近いかもしれません。

 

── 新しい職場に来て約3か月。実際に働き始めてどうですか?

 

大木さん:令和トラベルは、海外旅行をスマートに予約できるアプリ「NEWT」を提供する会社です。デジタルの力を使って、Amazonで水を買うぐらい簡単に、スマホで海外旅行予約ができるサービスを目指しています。

 

私はもともと旅行が大好きで、「ハワイのホテルならここがおすすめ」なんて提案は得意だぞ、ってのんきなことを考えていたんですよ。

 

ところが入社してみたら、旅行会社というより専門技術をもつ方々が集まってシステムを開発するIT企業で…。

 

専門用語が飛び交い、みんなが何の話をしているかもわからなくて。入社当初は知らない世界に飛び込んでしまった感じがありました。

大木優紀さん

── 社員の平均年齢は、役員を含めて33歳だそうですね。若い!

 

大木さん: そう、私が平均年齢を上げてます(笑)。こういう若い人たちが集まるベンチャー企業に入ってみると、会社のためというよりは、個人の武器を研いでいこうという気概を持つ人が多いですね。

 

会社に依存するような考え方を持たずに働いている人が多いので、見習うことは多いです。私は18年間、大きな企業に守られて働いていましたから。そこが成長しなきゃいけない部分だと思っています。

 

仕事内容も初めてのことばかりで、自分に対して「なんでできないの!?」と総毛立つような思いもしばしば。できなくてすみません…という降参状態なので、若い子たちに図々しく聞いて、助けてもらっています。感謝しかありませんね。

 

── 会社ではどういう業務を担当されているのですか?

 

大木さん:いまは広報とPRの担当です。あとは前職のスキルが多少生かせるYouTubeのコンテンツ制作などですね。ゼロから企画を考えて、原稿を書いたり、ナレーションを入れたりしています。

 

小さなスタンドマイクを買って自宅のリビングで音声収録しているんですけど、ゴミ収集車の音が入っちゃったり(笑)。四苦八苦しながらなんとかやっています。

 

テレビ局ならプロのミキサーがいて、ディレクターがいて、練りに練られた原稿があって、ナレーションスタジオに入ると水と赤ペンが用意されていて…。

 

結局、スタッフのみなさんに担がれて仕事をしていたんですよね。恵まれた環境だとはわかっていたつもりですが、今さらながらプロの丁寧な仕事のうえに自分の仕事が成り立っていたことを痛感します。

大木優紀さん

── 転職したことで、前職へのありがたみも感じられる瞬間があるのですね。

 

大木さん:

そうなんです。それと当時に「41歳にもなってできないんだ…」と自分にガックリしてしまうのが、「決められないこと」。

 

アナウンサー時代は何重にもチェックされた原稿が用意されていて、事前に決められたことをしていればよかった。ある意味、何が正解かが明確な仕事だったんですよね。

 

その環境に慣れてきたせいで、自分で決めることをためらってしまう。他の人に「これはどうしましょう?」とつい聞いてしまって、「それは優紀さんが決めるんですよ」と言われ、そっか!って(苦笑)。特にお金にかかわるようなことについては、自分で決定権をもつ仕事をしたことがなかったので、すごく難しいです。

ビジョンを描きすぎない人生も悪くない

── できないことに落ち込むのではなく、学ぼうとする姿勢が素敵です。思うように復職や転職ができなくて悩んでる女性に言葉をかけるとしたら?

 

大木さん:私はいつも「悩んでもしょうがない」という気構えで行動しています。

 

それは、アナウンサーという仕事はタイミングや運や縁が大事で、自分が強いキャリアプランを描いていても、思い通りにはならない部分が多かったから。そういうなかで、楽しみややりがいを見つけて原動力にしてきました。

 

新人の頃、将来のビジョンを書く用紙に「ビジョンがないのがビジョンです」と記入して怒られたことがありました(笑)。でも、これはいまも変わっていません。強くビジョンを描きすぎることで、自分を狭めてしまうような気もして。

大木優紀さん

大木さん:キャリアプランを強く持つことは、もちろんプラスになることもあります。けれど、私はきちんと未来を描いて進んでいくのが得意じゃないし、それをしないほうがラク。未来が想像ができないようなことのほうが楽しいです。

 

「35歳転職限界説」みたいな言葉もありますよね。でも、私は40代で転職しました。アナウンサーという特殊な仕事をしていたぶん、そうじゃない世界と2種類楽しめているので、すごく得したなと。2回目の人生が始まった感じがしています。

 

<後編>41歳で転職した大木優紀「母としての幸せも働く自分の人生も諦めたくなかった」

 

PROFILE 大木優紀さん

1980年東京都生まれ。2003年テレビ朝日アナウンス部に入社。「くりぃむナントカ」「GET SPORTS」「スーパーJチャンネル」など報道からバラエティ番組まで幅広く活躍する人気アナウンサーに。2021年12月に同社を退職し、2022年1月令和トラベルに入社した。2010年に一般男性と結婚し、現在は小学生の長女・長男と4人暮らし。

取材・文/大野麻里 撮影/野口祐一