20年前と比べて、既に約70%まで人口が減少している北海道檜山郡厚沢部町。子育て世代が流出し、今後も過疎が進むことが見込まれる厚沢部町にある認定こども園「はぜる」に今、保育園留学を希望する家族が全国から殺到しています。その人気ぶりは、募集から1か月で100以上の家族が申し込みを寄せるほどです。
北海道厚沢部町が始めた保育園留学とは。「世界一素敵な過疎のまちを目指しています」と笑顔で話す、厚沢部町役場政策推進課の木口孝志さんにお話を伺いました。
子連れワーケーションを可能にした「保育園留学」
── 北海道厚沢部町の「保育園留学」が今注目されていますが、具体的にはどのような取り組みでしょうか。
木口さん:
はい。この保育園留学では、北海道厚沢部町にある認定こども園「はぜる」に保育園留学をしたい子育て家族を全国から受け入れています。
希望するご家族には1~3週間ほどWi-Fiが整備されている「ちょっと暮らし住宅(移住体験住宅)」に滞在していただき、親がテレワークをしている間、子どもは住宅から車で5分のこども園に通園して地元のこどもたちと一緒に遊びます。
また、平日・週末を問わず、厚沢部町の豊かな食を通して地域とのつながりを感じられる食育体験や、厚沢部町の大自然を肌で感じることができる暮らし体験を提供しています。
── どのような点が人気の理由だと思われますか?
木口さん:
そうですね。まず、こども園では公園の芝生や築山をそのまま園庭として活用しています。都心部ではなかなか体験できない、厚沢部町の自然と広さを最大限活用したダイナミックな遊びが体験できることも人気の理由のひとつだと思います。
また、滞在中は厚沢部町の特産品である野菜や果物の収穫、そして郷土料理教室などを家族で体験できるので、地域を身近に感じる食育体験としても喜んでいただいています。
仕事の面では、体験住宅で仕事をすることももちろんできるのですが、気分を変えて仕事をしたいときは住宅から徒歩2分の場所にある移住交流センターもワークスペースとして利用できるので、滞在中にどう過ごすかという選択肢が豊かなことも人気の理由かと思っています。
地域に既にあるものを活かしてできた「保育園留学」
── 難しいと思われていた子連れワーケーションを可能にする取り組みですね。この保育園留学を始めた背景について教えてください。
木口さん:
はい。保育園留学は、「ふるさと食体験」の事業を行う株式会社キッチハイクと厚沢部町が連携して取り組んでいるものなのですが、別の事業で繋がったことをきっかけに厚沢部町について調べていたキッチハイク代表の山本さんが、厚沢部町のこども園「はぜる」の写真を見て惚れ込んでくれたことが保育園留学の始まりでした。
「何とかこの保育園に通わせられないだろうか」
そう思ってくれたところから始まったのが保育園留学なんです。
── 実際にそのような声があっても、ひとりの声から行政が動くのは難しいのではないでしょうか?
木口さん:
いえ、受け入れ自体は特にハードルなくスムーズにできました。というのも、「ちょっと暮らし住宅」、こども園「はぜる」、「収穫体験・食体験」などは、厚沢部町がこれまで取り組んできたプロジェクトであり、もともと地域にあったものです。
「保育園留学」を行うにあたって新たに建物を建設したり、新たな制度をつくったりはしていません。既にある地域の資産や制度、そして各プロジェクトで得た知見を融合させてできた今あるものでできている取り組みだからこそ、大きなハードルがなかったのかなと思います。
葛藤を抱えながらも向き合ったそれぞれのプロジェクトが今ひとつになった
── さまざまなプロジェクトを保育園留学として融合させるまでが大変だったのでしょうか?
木口さん:
そうですね。保育園留学は昨年からスタートしたのですが、そこはそんなに大変ではなくて。今思うと、平成31年にこども園を立ち上げる担当もしていたのですが、そのときがいちばん大変だったように思います。
以前あった保育園の建物はとても古く、何をするにも制限をかけて遊ばせなくてはいけない状態でした。こんなにも広く自然豊かな田舎なのだから、子どもたちを自由に走らせて遊ばせてあげたい。心から伸び伸びと遊べる環境を用意したい。せっかくなら「このこども園に通わせたいから厚沢部町に来たい」という人が増えたら嬉しい。
そんな思いから、広い敷地で安全に、そしてダイナミックに遊べる環境の良いこども園を提案しても「子育て支援だけでは過疎は止まらない」「いつか子どもはいなくなってしまうのだから、広い敷地は必要ない」などという声も多くありました。
── そんな声があると、葛藤が多かったのではないでしょうか?
木口さん:
そうですね。建設候補地に何度も足を運び、先生、保護者、上司と何度も話し合いや説明会を重ねてきた結果、さまざまな方の協力によって人を呼びたいと思える施設ができました。しかし、それだけではやはり人口は増えません。果たしてこのように進めてきてよかったんだろうか、と思い悩んだりもしました。
現在も「こんなに立派なものを建てて本当に良かったのだろうか」と自分自身思うこともあり、その都度、自分のなかでも葛藤が生まれます。それでも、今は種まき中だと信じています。葛藤を抱えながらも、目の前のことを真剣に大切にやっていくことが大事だと思っています。
── 一つひとつのプロジェクトに真剣に向き合い悩み続けてきたからこそ、今の保育園留学があるんですね。
木口さん:
そうですね。私は「ちょっと暮らし住宅」「こども園」「収穫体験・食体験」のプロジェクトに、それぞれ別の部署で携わってきました。すべてのプロジェクトが「厚沢部町に人が来てくれたら嬉しい」という思いから立ち上がったプロジェクトですが、そのときはこのすべてが繋がるとは思っていませんでした。
当時はそれぞれのプロジェクトで、賛成意見があれば多くの反対意見もあること、内部の調整、外部から人を呼び込む難しさを実感していました。それでも、難しいからと言ってバランスを取りながら進めていては、いつまでたっても何もできない。こども園に携わっているときならば、子どもが思いきり遊び学べて、親が預けて本当に良かったと思える場所をつくることだけを考えて全力で取り組みたい。
それぞれの部署で携わっている目の前のプロジェクトに取り組もうと仲間と一生懸命やってきたように思います。その思いや行動が、今ひとつに繋がっているなら嬉しいです。
どんな苦労や葛藤があっても、保育園留学で厚沢部町に来てくれた親子、そして受け入れる側の子どもたちの姿を見ると本当に立ち上げてよかったなと思うんです。
都会と田舎の違う部分、そして同じ部分を知って成長していく子どもたち
──保育園留学を体験する側と受け入れる側の、それぞれの反応はいかがでしょうか。
木口さん:
はい。都心部に住まれているご家族が冬に来られたのですが、「少し内気な自分の子どもが、こんなにすんなりと輪に溶け込んで遊ぶとは思わなかった」と仰っていました。子どもに雪遊びを体験してもらいたいと思われていたようなのですが、さまざまなことを体験され、帰るころには先生や友達と離れがたくてお子さんが泣いてしまうほど楽しんでくれたようです。
故郷と呼べる土地がないと仰っていたご両親が、「厚沢部町を故郷と思って来年も来ます」と言ってくださったときは本当に嬉しかったですね。
また、このような取り組みは体験される側にフォーカスが当たりますし、私自身も来てくださる方にとって良い経験になると思っていました。しかし実際に受け入れを始めると、受け入れる側の子どもたちの反応がすごかったんです。
こども園の様子
都会の子への関心もあり、沢山質問をして都会と田舎の違う部分、そして同じ部分を知っていく。自分が住む厚沢部町の良さを伝えたい気持ちが子どもたちにもある。これには先生たちも驚いていました。受け入れる子どもたちも「もう帰っちゃうの?」「次はいつ来てくれるの?」と、とても楽しみにしています。
厚沢部町の子どもたちは、基本的には小学校中学校と全員一緒に育っていきます。厚沢部町以外の人と触れ合う機会は少ないので、こういう交流が出来ることで子どもたちのコミュニケーション能力の向上にもつながっていくのではないかと思っています。
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「一人の声を聞いて『いつかやれたらいいですね』と言うだけじゃ始まらない。やってみましょうと、どうやったらやれるだろうかを考えることが大事だと思います」とやわらかい笑顔で話す木口さん。
「過疎を受け入れた上で、誰もが住みやすい『世界一素敵な過疎のまち』を目指したい。今は種まき中です」という言葉が印象的でした。
取材・文/渡部直子 写真提供/木口孝志