四国は愛媛県に本拠地を置く、地方プロレス団体「愛媛プロレス」。旗揚げからわずか3年目にして、年間10万人を動員しました。同団体を立ち上げたのは、代表である「キューティエリー・ザ・エヒメ」さん。その双子の妹とされ、団体の広報でもある田中エリナさん(実は、同一人物なのではないかと話題)と二人三脚で愛媛プロレスを運営しています。
愛媛県では一躍知られる存在となり、順風満帆に見えますが、旗揚げ直後に団体唯一のプロレスラーがいなくなってしまう…という波乱も。プロレスラーも居ない、資金も無い、「絶対に失敗する!」と確信したこの団体が、一転、多くの人の心を動かし、黒字化に成功した道のりをお聞きしました。
プロレス経験者がゼロ!「絶対失敗する」からのスタート
──田中さんは、元々プロレスがお好きだったんですか?
田中さん:
いえいえ!プロレスと出会うまでは、「プロレス」「ボクシング」の違いも知りませんでした(笑)。
私は大学卒業後、リクルートに入社しブライダル情報誌「ゼクシィ」の企画営業に就職しました。仕事は楽しく、全国規模の社内コンテストで優勝したり、トップセールスとして飛び級しリーダー職も務めたりしていました。
ただ、2年目くらいから仕事が忙しくなり、月の1/3程度は全国を飛び回る生活に。そんなとき、東日本大震災が発生。私は3月11日、東京の拠点で仕事をしていました。大きな揺れと恐怖を感じるとともに「今後は、両親のそばで地元・愛媛に腰を据えて働きたい」と強く思うようになりました。
同じように感じている仲間が四国に何人もいたので、思いきってリクルートを辞め、皆で起業。それからは、「総合ブランディング」を主軸として、企業様の課題解決をサポートする会社を経営しています。
── そもそも「愛媛プロレス」を立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか?
田中さん:
もともと私は、商店街の輸入雑貨店の娘として育ちました。事業を始めてからも商店街にオフィスを構え、商店街組合の理事にも就任。地域を盛り上げたい一心で、さまざまなイベントを実施していました。
そんなとき、東京のプロレスラーさんで「ご当地プロレス」に参戦していた方と出会います。その方の「愛媛に移住して、プロレス団体を旗揚げしたい」という希望もあり、代理店としてイベントをやってみよう!と思ったのがきっかけです。
その後、旗揚げ興行に向けて準備を始めました。「愛媛プロレス」としてのプロレスラーは、その方一人しか居なかったので、知名度のあるゲストさんも呼んで何とか興行は終わったんですが……。
そのプロレスラーさんが、いなくなってしまったんです。
── えっ…!
田中さん:
本当にショックでしたし、その人がいなくなるということは「団体からプロレスラーが一人もいなくなる」ということなんです。
実は、旗揚げの時に「プロレスラーになりたい人」も募集していました。すると、60人くらいの方から応募がありました。
その中から選抜した5名の練習生がいたのですが、当然、その人たちにプロレスを教えられる人もいない。そして、資金もない…。「プロレス団体の立ち上げは辞めることにします」。そう伝えようと、道場に行ったんです。
すると、当時16歳だった練習生が「やっと、夢が叶いました!」と目を輝かせていました。そして50代と比較的高齢だった方も「若いときには叶わなかった夢が、いまここで叶うとは思わなくて…」と、小娘の私に頭を下げて感謝を述べてくれたのです。
もう、何も言えないですよね…。
この人たちの夢をつぶす訳にはいかない…でも「絶対に失敗する」とも思っていたので「とりあえず1回やって、終わりにしよう!」とイベント開催を決めました。それが2016年のことです。
成功の秘訣は「既存のビジネスモデルを踏襲しない」
── そんな波乱もありながらも、旗揚げ3年後の2019年には10万人を動員されています。ここまで愛媛プロレスが求められるようになった理由は何だったのでしょうか?
田中さん:
はい。おかげ様で、2016年10月に開催した自主興行は、300人の満員御礼で終えることができました。その後も、自主興行やスポンサーイベントも含め、徐々に数を増やし、2017年は47イベント、2018年は64イベント。そして2019年には118イベントを数えるまでになりました。
この背景には、リクルート時代や経営している会社でPRの経験もあったので、うまくメディアに取り上げていただけた、ということもあると思っています。シバターさんなど、話題のYoutuberの方などとコラボした興行も積極的に開催し話題になりました。
ただ、大きくは「プロレス」というビジネスモデルを踏襲しなかったということにあります。
一般的なプロレスって、基本的に観客の皆さんがお金を払いますよね。劇団四季や宝塚などと同じだと思います。ただ、愛媛プロレスは全員が素人レスラー。そんなイベントにお金を払う人はいないと思ったんです。
それなら、「集客したい」というニーズを持っている、商店街やショッピングモールなどに求められるエンタメを作ればいい。観客の方々は「無料」で見られて、かつ「家族」で楽しめる。そんなコンテンツを目指そうと思いました。
そこから、プロレス団体やショービジネスを実際に観に行って勉強し、ファミリーにマッチしそうなものはどんどん取り入れました。
── 実際に、どんな演出を取り入れられているのでしょう?
田中さん:
例えばイベントの最初に、会場ディスプレイに個人のお名前を表示して「お誕生日おめでとうございます!」とか、「調子はどうですか?」など名指ししてアナウンスする時間を設けています。
みなさん「次は自分が当てられるんじゃないか」と集中して見てくれるし、そこで一緒に盛り上がることで、会場の一体感を醸成しているんですね。
あと、試合前には必ずプロレスのルール説明と「この試合は、18歳のひめかちゃんが、100kgのおじさんに挑戦する試合だよ!」など、アニメ声でわかりやすく試合の見どころを伝えたりしています。
そうやって、ファミリー層を中心に少しずつファンを増やしていきました。
また、プロレスは「地方」との相性もすごく良いと気がついたことも大きいですね。
エンタメも「地産地消」の時代!地方とプロレスは相性がいい
── どんなところが相性が良かったのでしょう?
田中さん:
ポイントは4つです。
一つは「連続性がある」ということ。例えば人口の多い東京で、劇団四季が同じ演目を数ヶ月上演しても、お客様を集めることはできますよね。でも、人口の少ない地方都市では同じことを続けてもお客様は集まらない。だから、「試合」という、毎回違うパフォーマンスを見せることのできる点がすごくいいと思いました。
次に「老若男女が楽しめる」という点。プロレスって、意外とファン層が広く「家族みんなで楽しめる」エンターテインメントなんですよね。やり方次第で、「実写版ヒーローショー」にもなれると思いました。実際に、愛媛プロレスは「お母さんがお子さんに見せたいプロレス」をコンセプトに開催しています。
三つ目に「地域の特産品や観光をPRしやすい」という点です。例えば、愛媛プロレスの選手の名称は皆「愛媛」に由来しています。今治産タオルにちなんだ「イマバリタオル・マスカラス」や、西条市にある霊峰石鎚山をモチーフにした「石鎚山太郎」、頭部からティッシュを出すことができる「凡人パルプ」は、紙産業が盛んな四国中央市初の観光大使にも任命されています。
公式グッズも愛媛県産にこだわっていますし、チャンピオンベルトは、県内の伝統工芸である「砥部焼」で作られているんです。
これが他のスポーツだったら…選手一人ひとりに、地域にちなんだ名前をつけたりできませんよね(笑)。
最後に「エンタメとしての知名度が高い」ということ。ニッチなスポーツだと、地方では根付くのが難しい。でも「好き」「嫌い」関係なく、とにかくみんな「プロレスを知っている」。ここがすごく大きいと思いました。
これらに気がついてからは、徹底して「地域密着」を貫いています。
自然に生まれた「愛媛プロレスコミュニティ」を大切に育てていきたい
── 多くのイベントを開催されたということは、それだけスポンサーさんも集まったということですよね。
田中さん:
そうなんです。比較的最初から、営業活動をしなくても、スポンサーさんの方からたくさんのお問い合わせをいただくことができました。
先ほどお話した、メディアを活用したPRや、価格などが「ちょうどいい」パッケージだったということ、それから県外からゲストを呼ぶ際に必要な「顎足代」も必要ない。
そして、自社の商品やサービスも試合中にPRできますし、何より愛媛プロレスのファンの方々は、本当にスポンサーさんのサービスを利用してくれる。だから、スポンサーさんもすごく喜んでくださるんです!
これを私は「コミュニティ」の力だと思っています。
── 詳しく教えてください。
田中さん:
「愛媛プロレスコミュニティ」的なものができているんです。
イベントなどで「(スポンサー)さん、愛媛プロレスを呼んでくれてありがとう!みんな(スポンサー)さんでお買い物してね!」と呼びかけると、観客やファンの方々がイベント後に本当に利用してくれる。
みんな根底に「スポンサーさんのおかげで、愛媛プロレスを無料で見られた」ということを理解し、感謝してくださっているようです。
これは、私が仕掛けたことではなく、自然にできあがった気持ちや、繋がりなんですね。今後も、これを大切に見守りながら育てていきたいと思っています。
現在はコロナ禍でなかなかイベント開催も難しくなっています。ただ、ライブ配信への挑戦やギネス世界記録の樹立など、今できることに挑戦し続けています。先が見えない時代ではありますが、今後もさまざまなことにチャレンジし続けたいですね。
取材・文/三神早耶 写真提供/愛媛プロレス