「苦節8年半、ようやく夫と子供と3人で暮らせるチャンスがきたんだということがありがたかった。何かを捨てなきゃいけないと思っていた。家族3人の暮らしか、キャリアか。何もかも手に入れることはできないと思っていたので」と振り返るのは、この春から夫と転勤先が重なり、やっと一緒に暮らせることになったAIG損害保険株式会社の石黒香さん。
会社が原則社命による転居を伴う転勤を廃止し、希望勤務エリアに人を配置する制度を導入した結果でした。
AIG損保を含む日本のAIGグループでは、転勤対象の社員約4000人について今年9月末まで3年をかけて望まない転勤をしない働き方を選択した社員の希望する勤務エリアへの配置を行い、ほぼ100%希望通りに達成しました。一方、これまで通り転勤が可能と答えた社員には10月からほぼ満額の家賃補助と月15万円の手厚い手当を用意しました。
石黒さんはこれまで大阪や長崎で子供と一緒に暮らし勤務していましたが約8年半、同じく転勤のある夫とは別居婚に。この制度の導入によってようやく家族が一緒に大阪で暮らせることになったそうです。詳しく話を伺いました。
出産翌年から夫が単身赴任に
── 8年半、夫と離れて育児をしながら勤務されたとのこと。どういうキャリアの流れでしょうか。
石黒さん:
ユニークというか、四苦八苦、七転八倒という感じでした(笑)。私は1994年にAIGの前身の一つである富士火災に新卒で入社しました。会社組織の変更を経て、今はAIG損保を含む日本のAIGグループ社員の人材開発を行っています。
入社から20数年経っているので、キャリアとしては営業部門や人事などいろいろな仕事を経験させていただきました。
2010年に出産し、東京で夫と家族3人で生活が始まったのですが、翌年2011年、異業種の会社で働く夫が単身赴任で大阪勤務を命じられました。私はそのとき、東京で人事の仕事をしていて、その仕事がとても好きだったんですね。1年後には育休を明けて復帰する予定でしたし、辞めてついていくことはできないと思い、子供と東京に残って復帰し、夫がいない生活が始まりました。
── それは大変でしたね。
石黒さん:
はい、しかし、復帰して1年やってみて、思う通りにはいかなかったんですよね。
1歳児を保育園に預けて、社員研修の仕事をして、お迎えに行き、ご飯を食べさせてという生活を1人でしていました。子供が体調を崩して、どうしても休みを取らざるをえない、保育園に預けられないこともありました。病児保育やファミリサポートなど使えるだけ使いましたが、それでも仕事も育児もどうしても中途半端になってしまう気がして。それに耐えられなくなりました。
時短勤務もさせていただきましたが全然、回らなくて。夕方4時まで勤務といっても、結局6時ごろまでかかってしまい、そこから迎えにいくと子供も保育園で最後まで残って泣いていて、子供を泣かせてまで何をやっているんだろう…とやりきれない気持ちになってしまって。
人事の仕事はきっとまた何かチャンスがあるだろうと思い、とにかく仕事は何でもいいから、(夫の暮らす)大阪へ行かせていただけないかと上司に相談しました。
夫が勤務する大阪に転勤するも、夫は福岡転勤に
── 悩まれつつもキャリアを継続されてこられたんですね。
石黒さん:
はい、そして、2012年10月、晴れて娘と私が大阪にいくことになりました。しかし、大阪に行く辞令が私に出た当日あたりだったと思うのですが、夫から電話があり何と、「今度は福岡に転勤の辞令が出た」と。
同じ会社でも無いのに何の玉突き人事かと思いました(笑)。しかし、私の大阪転勤は決まっていたので、私と娘は大阪に行き、夫は10月、福岡へ行くことになりました。
── 信じられないダブル転勤ですね。
石黒さん:
そうですね。ただ、私も夫も関西出身なので、大阪に帰れば実家のサポートが受けられます。私は実家のサポートを受けながらの生活が2012年10月から始まりました。
そのときは人事の仕事から離れてもいい、丁稚奉公から何でもさせてもらおうと思っていたところ、人事部門ではないものの、これまでの経験も生かせる仕事のお話をいただき、スタートさせました。その後、上司から「旦那さんが福岡にいるそうじゃないか、実はいずれ長崎に持っていくプロジェクトがあり、距離的に近くなるし、これまでの経験も生かせる仕事だからプロジェクトに入らないか」とコールセンターに関する新規プロジェクトに声をかけてもらいました。
今度は夫が福岡、妻子が長崎勤務に
長崎は土地勘がありませんでしたが、大阪と福岡より夫婦共に九州に暮らしていた方が移動距離も少ないと思い、お話に乗らせていただき、2014年に長崎に行きました。そこから2019年まで夫は福岡、私と子供は長崎で暮らし、週末行ったり来たりを繰り返していました。
そして、2019年、夫が大阪転勤を命じられました。
── その頃、このAIG損保の転勤廃止制度、希望するエリアに勤務できる制度が始まったんですね。
石黒さん:
はい。ぜひ利用したい!と思いました。
社命による転居を伴う転勤を希望しない「ノンモバイル社員」を選択し、大阪を希望勤務地にしました。子供は女の子なので、思春期になって父親とコミュニケーションを取りづらくなる可能性も考えて、その前に一緒に暮らした方がいいと思い、「ノンモバイル社員」を選択しました。そして、調整を経て、コロナ禍直前の2020年4月から私と娘も大阪に戻り、ようやく8年半ぶりに家族3人が一緒に暮らしています。
制度変更でようやく2020年から家族そろった生活に
── ようやく家族3人の暮らしが始まったんですね。大阪での仕事はいかがですか。
石黒さん:
これまでコールセンターの指導や研修などを担当していましたが、大阪で今度は人事の仕事に戻れたんです。2011年に東京を離れたときに人事の仕事を離れていましたが、巡り巡って、大阪にも人事部門を作ろうとなり、そこにポストをいただけました。
── 家族が一緒に暮らせるようになっていかがですか。
石黒さん:
いろんなラッキーが重なり、家族3人が暮らせるようになり嬉しいと思っています。
── 今後、石黒さんの転居・転勤がないメリットはありますか。
石黒さん:
自分の人生のプランが立てやすくなったというのはあります。進学、親の介護、家などは人生のプランニングに関わる部分があり、やはり転居を伴う転勤があると、全て組み替えになるので、この取り組みによって、落ち着いてプランできるのはメリットです。
子供ももう小学校5年生、進学のことを考えるといよいよ転勤しにくくなりますし、また、大阪にいる両親もどちらも80歳を超えて介護が始まっている部分もあるので、近くで暮らせることがありがたいです。
── 制度のデメリットはありますか。
石黒さん:
正直あまり感じてないですね。あえて言うならば長崎もとても好きな場所になったので、離れがたさはありましたが、夫と一緒に住むメリットの方が大きかったです。私の場合はすべてありがたかったと思います。周りも一緒に暮らせるようになってよかったねと喜んでくれています。
子供の発熱に上司が対応、乗りきった8年半
── 8年半の子供と2人の生活、よく辞めずに乗りきれましたね。
石黒さん:
本当にいろんな方の助けを得ました。 私がどうしても仕事の手を離せなくて、それでも子供が発熱したと保育園から連絡がきて病院に連れて行かないといけないとき、上司が子供を連れて病院に行ってくれて、私が病院で合流してバトンタッチすることもありました。
── 上司に頼もうという強さがすごいです。
石黒さん:
厚かましいのは重々承知ですが、厚かましいけれど甘えちゃおうと思いまして。この一件は、厚かましさの最たるものだったと思いますが。
── そこまでしないと続けられないですよね。
石黒さん:
いい意味で適当にやらないと自分が潰れてしまうと思ったので、キャリアは70点、ひょっとしたら50点かもしれないけれど、またどこかでいつかバランスを取ろうと思ってやってきました。
── そうやって生き延びてきた女性にも朗報となる制度だったんですね。
石黒さん:
そうですね、女性にとっても男性にとってもいい制度だと思います。
── さらに良い制度にするにはどこを変えていったらいいと思いますか。
石黒さん:
これからの運用だと思いますが、今は大阪で定着していますが、またもし夫が転勤になるなど変化が起きて変えないといけない時、スムーズに期間をおかずに異動できるとありがたいなと思います。
これまで通り転勤しながら働くモバイルと、基本転居を伴うような転勤をしないノンモバイルを、ライフステージの変化に合わせて変更できる制度にはなっていますが、希望エリアの変更がどこまでスピーディーに対応してもらえるかがポイントになってくるかと。
ほかの方の場合でも介護など急に始まるものなので、すぐにその居住地を選べるといいのかなと思います。
私の場合は、有り難かったのはタイミングですね、コロナで都道府県をまたいだ移動制限などがかかる前に家族が一緒に暮らせたのでよかったと思っています。
── 他社にも広まって欲しい制度ですか。
石黒さん:
この転勤廃止制度があるからAIG損保に入ったんだという声をよく聞きます。若い人はよく言いますね。中途入社の方にも多いです。
人事部門の人間としては、人気の理由なので、他社さんがいっぱい導入したら当社のセールスポイントが減るのは困るなと思う部分はありますが。世の中に広がっていかないと家庭とキャリアの両立は難しくなると思うので、広がってほしいですね。ちなみに夫については、しばらく転勤は無いようにと祈っているところです(笑)。
取材・文/天野佳代子 写真提供/AIG 損保