夏野菜を育てる義父

夏真っ盛り、暑さが身に染みる日々ですが、私たち三世代同居家庭の夏には、暑さの他にもうひとつ、頭を悩ませる大問題があります。

 

それは、義父が家庭菜園で毎年育てる夏野菜。

 

新鮮で無農薬、家庭菜園の野菜のどこが問題なの…?そう思われるのもごもっとも。喜ばしいはずの夏野菜が、なぜ同居嫁の頭を悩ませ続けるのか…その理由をお話ししましょう。

家庭菜園レベルではない壮絶な収穫量

義父の家庭菜園…といっても、庭先のプランターに数本の苗、という規模ではありません。

 

自治会で借り上げている広い菜園の一角、広さにして6坪ほどの畑です。このくらいのスペースがあり、野菜を作る人がマメでそこそこの知識と技術を身につけていると、野菜の生産量は、最盛期にはひと家族で消費することがとても不可能な量になるのです。

 

冬野菜ならば成長も遅く、気温が低いため収穫後の日持ちもします。しかし夏の野菜…トマト、キュウリ、ピーマン、ナスetc.は、真夏の日差しを浴びてすくすくものすごい勢いで成長するのです。

 

さらに、収穫後は冷蔵が必須。1日平均で、キュウリならば10本以上(しかも市販のものよりずっと大きい)、トマト10玉、ミニトマト10~100粒(キロ単位)、ピーマン10個以上…これらが断続的に、繰り返す波のように我が家を襲来するのです。

 

もちろん私も、せっかくの美味しい野菜をムダに腐らせたくはありません。

 

6月頃から収穫の始まる夏野菜ですが、サラダや浅漬けなどシンプルなメニューは、家族が早々に飽きて食卓に残りがちになります。

 

そこで味つけを変えたり、煮込んでみたり揚げてみたり、とにかく様々な方法で飽きずに食べられるようにと、ここ10年以上もの間、必死で工夫をこらしてきました。

隙あらばおすそ分け…と思っても

どれほどメニューを工夫しても、そもそも6人家族で消費が可能な収穫量ではないので、よそ様へおすそ分けをすることになります。

 

しかしこれもそう簡単な話ではありません。自治会の菜園のため、近隣も家庭菜園をされているご家庭が多数。みんな夏野菜の季節は隙あらばおすそ分けをしようと、菜園のないお宅を虎視眈々と狙っているのです。

 

良かれと思ってキュウリを差し上げたら、他の菜園者(勝手に命名)からすでに山ほどのキュウリをもらっていてうんざり…というパターンもじゅうぶん考えられるのです。

 

また、わざわざ過分なお返しを頂いたりすることも多く、そう何度も同じご家庭に野菜を差し上げるのもかえって気が引けます。

 

遠方の友人知人や親戚にクール便で送りつけたりもしましたが、送料を考えるとそう頻繁にはできない(着払いでいいよ!と言っていただけても、スーパーで買う方が安いかもと思うと気が引けてしまうし…)。

 

そんなわけで、隙あらばおすそ分けをしながらも、基本的には大量の野菜を自家消費しなくてはならない…それが毎年、同居嫁の頭を悩ませる夏の恒例行事となっているのです。

野菜の生産量は男のプライド…?

そもそも、そんなに消費できないほど野菜を生産する義父が悪いのではないか…?

 

植える苗の本数を少なくすればいいだけなのでは…?

 

そう思われませんか。私は何度もそう思い、義父に直接訴えました。「もう無理です、夏野菜が多すぎます、キュウリの苗だけでも半分に減らしてください」と。

 

義父は「そうだよね、来年は少し減らそうか」と言うのです。しかし次の年、菜園の植え付けの季節になると、スペースに目いっぱいの数の苗を植えてはほくほくしています。

 

これには理由があります。自治会で借り上げている菜園は、ご近所の義父と同世代のリタイア男性が大勢集う、ちょっとした社交場なのです。

 

そこで交わされる会話は、 「〇〇さんところのさやえんどうは今年はダメだ」 とか、 「あそこの苗屋がいい苗を仕入れている」 とか、 「××さんのキュウリは今年もすごいね」 など…。

 

要は、野菜の出来が悪いということは、リタイア男性コミュニティの中では非常にカッコ悪い、きまりの悪いことらしいのです。

 

「今年も甘木さんのところの野菜はすごいね!」と言われることが、義父にとって張り合いになっているらしいのです…。

 

確かに、外出も人と会うこともままならないこのコロナ禍、菜園の手入れは高齢者にとっては格好の運動にもなるし、他人との交流もできるとても良い趣味ではあります。

 

でも…でも!この山積みの野菜、どうしたらいいの!

 

次回、どうする大量の夏野菜!ついにキレた同居嫁…をお送りします。

文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ