仕事や家事育児、生活の中で感じるモヤモヤ。
「暮らしに前向きな変化を起こす」をテーマに、イラストや文章をSNSなどで発信している描き子さんはどう感じ、考えているのでしょうか。
今回は、育児がしんどいときに周囲に助けを求めることの難しさについての話題です。
この世のモヤモヤは、自分の視点を変えてみれば楽になる…かもしれません!
育児に悩んでいる時、先輩ママが眩しすぎる
最近子どもを産んだ友人がいます。彼女の子は現在10か月、かなりヤンチャな男の子らしく、SNSに上がってくるごく僅かな情報から見るに、友人は毎日ヘトヘトになっているようです。
高校時代からの大切な友人。私の数少ない友人の一人です。どうにか力になりたいと思って「何できることはある?」「息抜きは大事だよ、私が見ておこうか」などと声をかけるのですが、なかなか頼ってもらえません。
かえって気をつかわせてるかもしれないし、負担かもしれない。そう思うと、ついつい連絡するのも気が引けてしまい、なんとなしに疎遠になっていくのを感じています。
自分だけが悩んでるんじゃないか?という不安
歯がゆさを感じる一方、なんとなく彼女の気持ちがわかる気もするのです。
私も子どもが生まれたばかりの時、先にママになった友人たちは「いつでも助けに行くよ」と言ってくれました。みんながみんな、残らずそう言ってくれました。
私は彼女たちに心から感謝したけれど、それでも、しんどい時に頼るということが上手にできなかった。
そこにあったのは「ちゃんと出来てると思いたい、思われたい」みたいな気持ちです。
他の人が当たり前にやれてる(ように見える)母親業、弱音を吐いたら、自分だけ母親失格なんじゃないかとか、子どもが可哀想だとか思われてしまうんじゃないかと怖かった。
子どものために、ちゃんとした母親でいなくてはいけない。そこで「無理だ」と音を上げてしまうのは、子どもを育てることを放棄すること、のようにすら思えました。
今考えると、私はちょっと極端に考えすぎていたと思うし、子どもがある程度大きくなった今は、「あの時は大変だったなあ」と余裕をもって振り返ることができます。
周囲を見ても、子どもが0歳の時は「子どもかわいい!育児最高!」と言っていた人たちが、1、2年して子どもに手がかからなくなった時にその頃を振り返って「あの頃は毎日泣いてた、辛かった」と打ち明けてくれることが少なくありませんでした。
もし私や、私と同じく後になってようやく弱音を吐けた彼女たちに、リアルタイムでしんどい時にちゃんと「しんどい!辛い!」って打ち明ける勇気があったら。
後になって同じことで悩んでいる人たちに「悩んでるのは自分だけだ」なんて思わせずに済んだのかもしれない。冒頭の友人も、もっと私を頼ってくれたのかもしれない。
悩みを打ち明ける、という人助け
しんどい時にしんどい!と言うのは恥ずかしいことではないし、育児に悩むのは親として当然のことであり、むしろ親としての責任をしっかりと感じていればこそのことです。
周囲の人がどれほど助けたいと願っても、SOSを出してくれなければ手を差し伸べることもできません。
しんどいと訴えることは、他にしんどい思いをしてる人の心の支えになり「実は私も」と打ち明ける勇気を与えることにもなるはずです。
今の私は、子どものことで悩むことがあれば積極的に友人たちに打ち明けるようにしています。時々、勇気がいることもあります。こんなことで悩んでいるのは私だけじゃないか。私の子どもだけが、うまくできていないんじゃないか…。でも、打ち明けると必ず誰かがこう言ってくれるのです。
「わかるよ!うちもそうだったよ」って。
しんどさを隠し合うよりも、気軽にしんどいよね、と言い合える空気を作りたいなと。
きっとそういうところから、母親(あるいは父親)の孤独が癒されていくんじゃないかと思うのです。