『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(18)の李闘士男監督がつぶやきシローさんの同名著書を映画化した『私はいったい、何と闘っているのか』(公開中)で主人公の伊澤春男役を演じている安田顕さん。
仕事や家族のために七転八倒する中年男の日常を魅力たっぷりに演じた安田さんに、撮影の思い出や春男というキャラクターについて、印象に残っているシーンなどを教えていただきました。
「人生は続いていく。春男の心の声、葛藤は今後も続くと思います」
── ごくごく普通のマイホームパパの姿を淡々と描いた作品かと思いきや、忘れたころに春男の過去などにも触れつつ、とても深いドラマという印象を受けました。
安田さん:
最初に台本を読んだときには「モノローグ長いなぁ」と思いました(笑)。演じる側としては、そういうところを見てしまう部分も正直あります。長いなと思いつつも、それは自分にとってはやったことのない、うれしい取り組みでした。プレッシャーに感じるというよりも、作品を観る方に対して、どう提示できるか、新しいチャレンジとして前向きに取り組みました。
── 特に、印象に残っているシーンはありますか?
安田さん:
あえて、挙げるとすればカツカレーを食べているシーンです。あの場面だけ、心の声をモノローグとしてではなくセリフとしてしゃべっています。心の中で愚痴っていたことを吐き出せる場所として「おかわり」というお店が登場します。もちろんあのセリフは最終的には映画を観るお客様に届くように喋っているのだけど、撮影のときには、目の前にはお客様ではなく照明、カメラなどのスタッフさんがいます。この瞬間を切り取るために、支えてくれる方たちと一緒に仕事をしているのだから、まずは目の前のこの人たちに対して届けなければいけない、そんな気持ちで演じました。
出来上がった映像を観て印象的だと思ったのは、岡田結実さん演じる娘の小梅が、彼氏を連れてきたシーンです。なんかいいな、と思いました。
── 笑って泣けて、心が温まる素敵なシーンでした。
安田さん:
思わず笑っちゃいましたけど、最後はほろっとする温かさがあのシーンに込められていた気がします。試写で観たときには、映画評論家や映画ライターさんなど、関係各位の方がたくさんいるから、やっぱり反応が気になってしまって(笑)。でも、あのシーンではクスッと笑う声や、鼻水をすする音が聞こえたんです。その瞬間「李監督、よかったね」と思いましたし、僕自身もうれしいと思えたので、すごく印象に残っています。
── 世渡りが下手でちょっと不器用な春男を演じた感想を教えてください。
安田さん:
いそうでいないタイプだと思いました。台本を読んだときに、李監督に言いました。「春男は平々凡々に見えるけれど、実は、やっていることはスーパーマンですよね?」と。これに対し李監督の返答は「いや、どこにでもいると思います」でした。いろいろな葛藤をして心の中でグルグルと自分のことを考えて、その結果としてそういう行動になっている春男みたいなタイプってたくさんいるんじゃないかって。「なるほど」と思いました。そこで考えたのは、彼の心の中の葛藤を素敵だと感じるのはなぜか、ということでした。
── その答えは見つかりましたか?
安田さん:
春男はカレー屋で愚痴を言うけれど、憂さ晴らしで言っていないんです。誰かを傷つけてまで自分のストレスを発散していない。彼は自分の中でウジウジ考えて、ときには空回りをしてしまうこともあるけれど、相手を傷つけてまで憂さ晴らしをすることはない。そういう部分が、素敵な人と感じる理由なのだと思いました。
── なるほど。春男然り、多くの人が日々何かと闘っていると思いますが、今、安田さんが一番闘っていることとは?
安田さん:
ものぐさな自分と闘っています(笑)。昔から夏休みの宿題を初日からやったことなんてないですし、今も、締め切りがないと原稿も書きません。まさに今、クランクインまであと数日の作品があるのですが、まだセリフに手をつけていません。話しながらものすごく焦っています。
── 結果、間に合うからいいっか、ってなっちゃいます。
安田さん:
そうなんです。準備しなきゃいけないと思っても、ギリギリまで放置しがち。特に原稿は、締め切りよりも前に出したら、ここを修正してなんて、戻ってきてしまうでしょ?ギリギリなら戻ってこない、なんて考えてしまうんです。よく、「前もってお手洗い行っておこう」っていうけれど、生理現象だから前もってもねぇ、って思っちゃいます。まあ、ものぐさを正当化するための言い訳ですけれどね(笑)
── 春男のようにうじうじと考えるタイプをどう思いますか?
安田さん:
共感できますよ。だって、すでに今「先ほどの質問にちゃんと答えられただろうか、伝わっているだろうか」って考えてますし……。撮影中も「カット、OK!」と言われても、5秒10秒、必ずセリフを反芻します。でも、考えて良い結果が生まれることもあります。
── 撮影中にそのような場面がありましたか?
安田さん:
金子役の金子大地くんに対して「俺も自分のことで精一杯だよ」と言うセリフがあります。あのセリフ、最初は「俺は」だったんです。「は」と「も」の違いだけど、変えることでもう少し上乗せした何かが伝わる気がしました。恐れ多いと思いながらも、李監督に提案して変更したセリフです。
── 春男らしさが出ているなと感じました。
安田さん:
それが伝わったと思うと、すごくうれしいです。
── 小池栄子さん演じる妻・律子との関係も素敵ですよね。
安田さん:
今後もきっとこの夫婦にはいろいろな出来事があると思うんです。でも、パートナーとしてひとつ高いというか、裾野が広がった円熟期に入っていくのではと感じました。夫婦にあった結びつきは、より大きく強く結びついた状態でさまざまなことを乗り越えていくのだと思います。目の前の問題は解決したけれど、解決して終わりではない。人生は続くわけだから、春男の心の声、葛藤もずっと続くと思います。
── 息子の野球チームに流しソーメンを差し入れようとしたり、娘が彼氏を連れてくるときにはナポレオンを出してみたりなど、さまざまな作戦を練る春男ですが、安田さんだったら、どんな特技を活かした作戦を披露しますか?
安田さん:
先日、バカ話をしていた際に「父親の威厳を示すには?」という話題になって。僕は「延々と自分の作品を観せる」と言いました(笑)。劇中にも登場する「娘さんをください」的なシーンで絶対やらないのは「娘はくれてやる。その代わりお前を殴らせろ」です。あれは100%やりません。自分で共に歩んでいくと決めた相手ならがんばりなさい、と見送ります。もちろん、心配はすると思うけれど、まずは状況を受け入れる、と思います。まあ、その状況にならないとわからないですけれど(笑)
── 男はやっぱりナポレオンなのでしょうか?
安田さん:
アハハハ。ナポレオンって、すごく高かった時期があって。昔、父親が本物のナポレオンを前にすごくよろこんでいたのを思い出しました。実はあのシーンは僕のクランクアップで李監督から「飲んでいい」と言われ、本当に飲んでいます。前回、李監督とご一緒した『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』でも、クランクアップがお酒を飲むシーンでした。李監督は「僕の作品のクランクアップでは、安田さんに毎回必ず飲んでもらいます」って。
湿っぽくない、明るい家族のシーンにしましょうということで、一発撮り。テストもせず「最後、安田さんはこれを飲んで終わりです」って言われたとき「粋だな〜」と思いました。ちょっと照れ屋なところもあって、とても魅力のある方です。