介護とまではいかないけれど、会うたびに感じる親の老いに、ちょっぴり不安を感じ始めているという人も多いのではないでしょうか。着実に老いていく親とどう向き合い、いざという時に慌てないためにどんな準備をしておけばいいのか。目の不自由なお父様と認知症のお母様との日常をつづったコミックエッセイ『健康以下、介護未満 親のトリセツ』の著者で人気ブロガーのカータンさんにお話を伺いました。

  

突然視力を失った父のパニック、支えようと頑張る母が追い詰められ…

——“老いは誰にでも訪れる”とわかってはいるものの、自分の親となると、話は別。どこかで認めたくない気持ちがあって、「ウチはまだ大丈夫!」と根拠もないのについ過信してしまいがちです。カータンさんも、お父様が突然視力を失われたことが介護生活の入り口だったそうですね。

 

カータンさん:

そうなんです。もともと緑内障で病院通いはしていたものの、様子見状態が続いていたのですが、4年前、当時79歳だった父が急に目が見えなくなってしまったんです。誕生日ケーキのろうそくの火を吹き消し、電気をつけた途端、視力を失ってしまった。本人もパニックになるし、私たちも凄く焦りました。

 

父の目が見えなくなってからは、実家の母が父の面倒を見ていたのですが、当初、父も目が見えない苛立ちを母にぶつけてしまうことが多く、だんだん母が追い詰められてノイローゼ気味になってしまったんです。そこから、母の様子がおかしいと感じることが増えていきました。

 

——具体的には、どういう場面でおかしいと感じられたのですか?

 

カータンさん:

物忘れが激しくなり、会話のペースもこれまでと違って話が全然かみ合わない。同じ話を何度も繰り返したり、こちらが話しかけても反応が鈍く、“ここにあらず”といった感じでした。でも、最初はそれを認めたくなくて、「ちょっとおかしいけれど、認知症じゃないよね?そういえばママはもともと天然だったし!」と姉と話して自分を納得させようとしていたのですが、だんだん“やっぱりおかしいよね…”と。

 

決定的だったのが、金銭感覚の変化でした。年金の支給日から12週間でお金をすべて使い果たしてしまうんです。父と2人暮らしにも関わらず、スーパーで高級ステーキや箱入りのウニなど、手あたり次第に高級食材を買いまくっては腐らせていく。ある日、うちの娘に、「おばあちゃんちの冷蔵庫を見たら、中身がパンパンでなんだか臭かったよ」と言われ、冷蔵庫を開けてみたところ、愕然としました。

 

このまま母に通帳を預けておくと大変なことになってしまう…。そこで姉と話し合い、いったん通帳とカードを預かって定期的にお金を渡すことにしたのですが、その頃、母が情緒不安定で攻撃的になっていた時期で、「ひどい!私の通帳を返して!」と泣きわめき、いきなり爪でひっかいてきたこともありました。そこで初めて “これは尋常じゃない”と感じ、なんとかなだめて認知症外来に連れて行ったんです。

 

親が認知症かも…なかなか認められない辛さ 

——子どもとしては、親が認知症かもしれないという事実は、なかなか認めたくないものですよね。

 

カータンさん:

様子がおかしいと思いながらも、否定したい気持ちが強くて、母がおかしな行動をするたびに「ちょっとママ、しっかりしてよ!」と言っていましたね。刺激を与えれば、元に戻るんじゃないかと、強引に外に連れ出してみたり…。

 

——わかります…。私も父の介護を経験しましたが、認知症初期だったことに気付かず、脳に刺激を与えれば元に戻ると思い、「ワッ!」と脅かしてみるという…今思えばタブーなことばかりしていました。

 

カータンさん:

本当は、叱ったり声を荒げたりするのではなく、おだやかに受け止めて認めることが大事だと聞きました。ただ、母の場合、病院でMRIも撮ったのですが海馬にも異常がなく、当初は認知症と診断されなかったんです。でも、そこから症状が進み、情緒不安定攻な時期を経て、だんだん無気力な状態になってしまって。おしゃれな人だったのに、化粧もしないし、着替えないし、お風呂にも入りたがらない。とにかくお風呂は嫌がりましたね。

 

あとから担当の医師に聞いたのですが、お風呂を嫌がるのは、認知症によくあるサインなのだそうです。お風呂って、意外と手順がたくさんあって、痴呆症の人にはハードルが高いらしくて。新しい肌着を準備し、服を脱いでお風呂に入り、身体や髪を洗い、最後にふたを閉めてお風呂から出る。その後も、身体を拭いて服を着たり、髪を乾したりと、作業工程が複雑でたくさんありますよね。

 

——確かに、子どもをお風呂に入れることを考えてみると、なかなか大変な作業ですよね。現在、お母様はどのような症状なのですか?

 

カータンさん:

無気力な時期を経て1年くらいしたら、今度は「死にたい、生きていてもしょうがない」と鬱っぽくなりました。しばらくしたらそれも収まり、ここ2年くらいは症状が落ち着いています。もちろん少しずつ進行していますし、以前のように会話ができるわけではありませんが、落ち着いた様子に変わり、接しやすくなりました。

 

親の変化を認め、関わり方を変える勇気が大切 

——元気のないうつ状態から落ち着かれたのは何よりでしたね。カータンさんのほうで、何か関わり方を変えたことはありますか?

 

カータンさん:

悲観的な精神状態の母に「元気?」と聞いても「元気じゃない…」と、死にそうな声で答えるんです。だから、「生きてる?」って聞くようにしたんですね。そしたら「生きてる」と答えるしかない(笑)。「そう、よかったね!」と言うと、本人もまんざらじゃない感じで嬉しそうにすることが増えました。肯定的な返事ができるように質問の仕方を変えたわけです。

 

私も姉も、母の老いを受け止めるのに時間がかかったけれど、徐々に「来るべき時がきたんだな。受け入れて前に進まなくちゃいけない」と思えるようになりました。介護の専門家であるケアマネジャーさんやヘルパーさんに入っていただいたこともすごく大きかったですね。味方ができた!と思えて、前向きに進む力になりました。

 

… 

 

なかなか認められなかった親の老いや病気を、ようやく認められるようになったというカータンさん。次回は、ご自身の経験から、小さな子の育児に忙しい読者世代にも実践して欲しいと痛感していることについてお伺いします。

 

 

Profile カータンさん

1967年4月生まれ。元客室乗務員で現在は2007年よりスタートしたブログ『あたし・主婦の頭の中』が1日30万アクセスを誇る人気ブロガー。家族は夫と2人の娘。著書に『健康以下、介護未満 親のトリセツ』(KADOKAWA刊)ほか。
取材・文/西尾英子 撮影/河内 彩