© 2019「影踏み」製作委員会

 

—— 原作を読んでいる方は、小説のファンタジー部分をどう描くのか気になるところだと思います。

 

横山さん 

シナリオが出来上がって、描き方について意見を求められることもありましたが、映画と小説では表現方法がまったく違います。なので、「映画の人が考えることじゃないですか?」としか言えない部分もありました。でも、出来上がったものをみて「そうきたか」と納得しましたね。

 

篠原監督 

「民」の視点から見た「官」という大前提の視点があったことが大きな意味を持っていました。

 

横山さん 

山崎さんもそこに食いついていましたからね。

 

篠原監督 

3人の共通意識がそこにちゃんと固まっていましたね。社会の「民」の底辺にいる人間が、世の中をどう見ていくのか。自分を敵対視している警察をどう欺いていくのか。3人の共通認識が、すべての土台になっていると思います。

 

横山さん 

私は「組織の中の個人」をずっと書き続けてきました。今回の『影踏み』では、組織の概念を広げて、官を含めた社会の中の個人がテーマになっています。ミュージシャンである山崎さんは、自身が民の中にいる個人という強い自意識をお持ちで、私も共感できました。

 

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—— 映画と小説、映像と文字では表現方法が違うとおっしゃっていましたが、お互いの表現方法で感じた驚きや、発見はありましたか?

 

横山さん 

ファンタジー部分を抽象的ではなく、具体的に映像化したところには本当に驚きました。それがこの映画のひとつの醍醐味になっています。それによって描けたものは大きいと感じましたね。

 

篠原監督 

例えば、小説の中にある描写が映画の中ではないというのもあります。犯人の人物背景を描くうえでポイントとなる描写です。原作に描かれているものをそのまま映画で表現すると、見えることで縛られてしまいますからね。

 

横山さん 

その逆に、映像で見せてしまえば、一瞬にしてすべてがわかってしまうことがあります。敢えて書く、敢えて書かないができるのが小説。映画と小説は文法的に違うものだから、こちらも「原作通りに作ってくれなくちゃ嫌」とは言えないわけです(笑)。