「虐待」とは、現在は「子どもが耐え難い苦痛を感じること」と定義されています。

 

たとえ暴力を振るったり、食事を与えないなどの行為がなくても、教育という名のもとに、子どもに耐えがたい苦痛を与えている…それが「教育虐待」として問題になっています。

 

この記事では、どんな行為が「教育虐待」に当たるのか、教育虐待が子どもの心に傷を残す可能性、また親として気をつけたいことは何かを考えました。

 

教育虐待とはどんな行為?「中学受験時に父親から」が多い?


昭和の時代にも「教育ママ」「受験戦争」などの言葉はありましたが、「教育虐待」という言葉が登場したのは最近で、2011年に開催された「日本子ども虐待防止学会」の中で報告されたのが始まりとされています。

 

首都圏を中心に、子どもの中学校受験を考え始める小学校3年生頃から始まり、父親から息子に向けられるケースが多いといわれます。

 

定型的な流れとしては、

 

  • 「将来のことを考えれば名門中学校に入ったほうが有利」と思い子どもに受験を勧める
  • なかなか成績が上がらないことに苛立ち、「なぜできないんだ」と子どもを追い詰める
  • 趣味や習いごと・友達付き合いを制限する
  • 親が課したことが達成できないと暴言や暴力で脅す

 

というものが挙げられます。

 

2016年、当時小学校6年生の長男を父親が包丁で刺殺した事件でも、原因は「父親の指示通りに勉強をしなかったから」であり、教育虐待の悲惨な結末として大きく取り上げられました。

 

こころの病気・不登校・自己否定…教育虐待の後遺症とは


上記のような事件が起こっても、中学受験を目指す家庭は減るどころか、首都圏を中心に現在も増加しています。

 

そしてその重圧と負担に耐えきれず、心身の調子を崩して心療内科に通院する小学生が増えているともいいます。

 

NHKの報道によれば、世田谷区のある心療内科には、1年間で18人の子どもが中学受験のストレスで受診したそう。

 

結果、中学受験を断念することになっても、子どもの心が早期に回復すればいくらでも人生は開けてゆくでしょう。

 

しかし、治るまでに長い時間がかかったり、不登校になってしまったとすれば、思いっきり友だちと遊んだり、好きなことに没頭したり、雲を眺めながらボーっと過ごすといった子ども時代になくてはならない経験をできずに過ごしてしまうことにもなりかねません。

 

また、受験勉強が親の思うように進まない時に、焦るあまり

 

「そんな怠け者はうちの子じゃない」 「次のテストで点数が悪かったら許さないよ」 「自分でやりたいって言ったのに、嘘つき!」

 

といった言葉を投げられたら、傷ついた記憶は子どもの心から簡単には消えず、成長後もわだかまりを残しかねないばかりか、さらにその子ども(孫)世代へ同じ言動が繰り返される可能性もあります。

 

実際、前述の長男を殺害した父親は、自身も子ども時代に勉強を強制され、できないと罵られたり暴力を受けていたと証言しています。

 

さらに、不合格だった場合にはよほどフォローが行き届かないと 「自分はダメな子なんだ」 「失敗した」 そして 「大好きな親を喜ばせることができなかった」 といった気持ちから、子どもが自己否定してしまう懸念もあります。

 

自己肯定感は、中学受験という通過点と比べ、その後の長い人生を幸せに生きていくために非常に大切な感覚。それを失ってしまうことの損失は、入試の結果よりはるかに大きいといっても良いのではないでしょうか。

 

<合わせて読みたい人気記事>

自己肯定感とは?お金で買えない我が子への最高のプレゼント

 

教育虐待への第一歩を踏み出していないかのチェック


中学校受験は高校や大学の受験とは異なり、塾の送迎からスケジュール管理まで親子二人三脚で合格を目指さなくてはならないとよく言われます。

 

それはやむを得ないことかもしれませんが、その過程で「合格さえすれば」と目的が絞られてしまい、本当にその子のためになるのかどうかが置き去りになってしまうことが「教育虐待」の第一歩といえます。

 

子どもに過度な負担を強いているのに気付かないとき、親の心の中には次のような心理があると言われます。自分に当てはまっていないか、一度チェックしてみましょう。

 

子どもを所有物のように思っている

小さな子は親が大好き。なんとか喜ばせたい・笑顔になってほしいと願って、親の望む道に進もうとします。

 

しかし、子どもは本来、子ども自身の好きなことや心ひかれることをして生きていく権利があります。

 

たまたま自分たちの元に生まれてきてくれただけで、親にはその子の生き方を決めたり思い通りに動かしたりする権利はないのですが、子どもが一生懸命親の期待に沿おうとしてくれるからといって自分の所有物のように思ってしまうと、何がその子にとって幸せなのかを見失ってしまいます。

 

自分の人生と子どもの人生を重ねてしまう

「自分は厳しい受験戦争を勝ち抜き、なんとか今の地位を得た。わが子も自分と同じようにさせないと幸せになれない」

 

「自分は学歴がないせいで収入も少なく、低く見られることもあって不満の多い人生だ。わが子にはしっかり勉強させないと自分と同じように不幸になってしまう」

 

上記は一見正反対のように見えますが、実は根っこは同じ発想といえます。

 

親には親の、子どもには子どもの選択があり、どんな結果になろうとも、自分の選んだことを自分で引き受ける責任と権利があります。

 

それを理解していないと、子どもをもう一度自分の人生をやり直す道具にしてしまいかねません。

 

なお、「教育虐待」に父親と息子の組み合わせが多いのは、いまの40代以上の男性にとっては、異性である娘に自分の人生を重ねるのは難しいから…とも考えられます。

 

過去の成功例や価値観が通用すると信じている

令和の時代に入り、雇用のありかたや働き方の選択肢も、親世代と比べはるかに多様化しています。

 

過去に「とりあえずこうしておけば安心」と思われた、「世間で名の通った大学に入る」という方法だけではもはや終身雇用は保証されません。

 

また契約上は終身雇用が可能でも、子ども自身がストレスや対人関係で耐えられなければやはり働き続けることはできません。

 

厚生労働省の「平成30年労働安全衛生調査」では、現在職場で「強いストレスを感じている」という人は平均58.0%と、過半数を超えています。

 

ストレスの原因は、

 

  • 仕事の質・量  59.4%
  • 仕事の失敗・責任の発生等 34.0%
  • 対人関係(セクハラ・パワハラを含む)  31.3%

 

などで、誰にでも起こりうるもの。

 

このような世の中で、やりがいを持って働き生き抜くには、過去の成功パターンを踏襲するだけでは通用しなくなっているのです。

 

「子どもも望んでいる」「本人のため」と思っている

もしも親が無理やり子どもに何かをさせている・お願いしてやってもらっている…という自覚があるなら、何らかの負い目を感じたり遠慮したりするでしょう。

 

しかし、子ども自身が希望したという前提のもとでは、子どもがギブアップしようとすると、「自分でやりたいといったくせに!」「自分のためなのにどうしてちゃんとできないんだ!」と怒りを覚えます。

 

しかし本当は、希望しているのは親の方で、子どもがそれに応えたいと思っているパターンも多々あります。

 

本当にその子に受験が向いていれば、叱りつけなくても子どもは頑張れるはず。

 

また本当に親が子どもの希望をサポートしているだけならば、子どもが自分から「やめたい」といった時には、少しは残念だと思ったにせよ、きちんと受け入れられるのではないでしょうか。

 

おわりに


首都圏の中学受験において「教育虐待」が生まれる背景には、公立中学からでは満足な進学ができないのでは…という保護者の不安があります。

 

教育虐待の問題は、親子の問題だけにとどまらず、そもそも「中学受験しないと先行きが不安」「学歴がないと将来成功できない」と中学受験に走らせてしまう現在の入試制度や、公立中学・高校の質の見直しまでも含めて考えていかなければいけないと感じます。


文/高谷みえこ
参照/NHK「ニュースウォッチ9」2019年6月24日特集ダイジェスト「中学受験が重圧 心を病む子どもたち」
産経新聞「THE SANKEI NEWS」2019年7月19日「小6息子刺殺、父親に懲役13年判決 名古屋地裁、中学受験指導」
厚生労働省「平成30年労働安全衛生調査(実態調査)」