みずからを「自己肯定感の塊」と評する、お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんの信子さん。その明るさの土台には、母から注がれた愛情がありました。親孝行のつもりで受験した高校を、約1か月で離れることになった高校1年生のころ。帰り道に謝った信子さんに母がかけた言葉は、今も信子さんの心のよりどころになっています。
小5のときに始めた「陸上」は大分で1位だった
── 小・中学生時代は陸上でジュニアオリンピックに出場するほどの腕前だったそうですね。スポーツに打ち込む一方で、学生時代はギャルとしての自分も楽しんでいたとのことですが、当時の様子を教えてください。
信子さん:陸上を始めたのは小5のときです。もともと足は速いほうで、運動会でリレーのメンバーに選ばれたりしていて。小学校時代って足が速いとモテるし、ヒーローになれるじゃないですか。だから、陸上を頑張ることで「承認欲求を満たすぞ」って(笑)。

と言っても、めっちゃガチで練習してましたよ。純粋に「誰よりも速く走れる」っていうのが楽しくて。陸上って「誰よりも高く跳ぶ」「誰よりも遠くへ投げる」って感じで、基準がわかりやすいじゃないですか。そういうところが好きだったんです。
小さいハードルとか階段を使って、基礎練習もガチでやってたし、坂道ダッシュとか、追い込む練習もあって、夏場の練習は特にハードでした。でも、全然つらくなくて、むしろ楽しかったんですよね。
── 中学の陸上部は強豪校で、信子さんはキャプテンを任されていたそうですね。
信子さん:はい。大会のときはまず競技場のど真ん中に集まって、うちの掛け声に仲間や後輩が大声で応じて、「陸上部ここにあり!」って周囲の学校にアピールしてましたね(笑)。
でも、ジュニアオリンピックのときは全国から猛者が集結していたので、10位内にすら入れなくて。大分県ではずっと1位だったので、ちょっとした挫折を味わいました。「そうか、大分県ってまだまだなんだ…」って。しかも中2の終わりごろに、足首を怪我して。故障してから記録が伸び悩んで、今まで県で1位が当たり前だったのが急に3位になったりして、トーンダウンした感じはありました。
── 怪我の影響があるとはいえ、それほどまでに打ち込んでいた陸上を中学3年生であっさり辞めたと聞きました。
信子さん:そうなんです。先輩のバイクの後ろに乗せてもらったら、「あれ、うちより速いぞ?」ってなって(笑)。当たり前のことなんですけど、人間の速さはバイクに負けるって身をもって体験して、急に興味を失っちゃったんです。
それまでは「陸上」と「ギャル」を頑張って両立していました。でも、髪を染めているのをバレないように黒スプレーをして隠したことで、雨の日は白いシャツが黒く染まっていましたね。
だから、「1回振りきってギャルを極めたい、はじけたい」って気持ちはずっとあったんです。それで、陸上をやめて、髪も明るく染めて「もう、おさらばだ!」って。ヘソピアスを開けたのも、このころです。「信子が開けたいなら」って母が病院につき添ってくれました。
親孝行で受験したのに…約1か月で高校中退
── 中3で陸上をやめ、他のスポーツをすることなく高校生時代はバイト三昧の日々だったそうですね。ギャルを極めたあとは、どんな生活を?
信子さん:ちょっと荒れてたというか…。今振り返ると、とんでもなかった時期があって。そのせいで親に大迷惑をかけました。さすがに反省して、「親孝行だと思って高校はちゃんと行こう」って心に決め、どうにか受験に合格したんです。

ところが…。入学後1か月ほどで学校側から親に電話があり、校長先生と母との3者面談をすることに。そこで「もう学校に来ないでください」って言われてしまったんです。
帰り道、母に車の中で謝りました。「親孝行のつもりで高校受験したのに、素行が悪いせいでこんなことになって、本当にごめん」って。そしたら、母が今でも忘れられない、すごい返しをしてきたんですよ。
「私はね、のんちゃんは本当は間違ったことをする人間じゃないって信じてる。今こうやって謝れたり、悪いって思ってるってことは、もう成長してるってことだと思う。だから、のんちゃんは好きなように生きてくれればいい」って。
それを聞いた瞬間、母が信じてくれるならそういう人間になろうと思いました。
── お母さんはどんな状況でも、信子さんのことを全力で信じてくれていたんですね。
信子さん:そうなんです。それ以来「二度とお母さんに言えないことはしない」と心に誓いました。その反省を胸に、友達が通っていた通信制の高校を紹介してもらい、通い始めることに。当時の自分としては、心を入れ替えて精一杯頑張ったんです。でも結局、2年に進級するときに取れているはずの単位が取れていないことがわかり、そのまま辞めることになってしまって…。あのとき、母との約束が守れなかったことは今も申し訳なかったと思ってます。でも、そんな私も母は受け止めてくれたんです。
いつも褒めてくれた母のおかげで今の私がある
── お母さんは普段からそういうお声がけをしてくださっていたのですか。
信子さん:そうですね。母は基本、ハッピーなことしか言わない人でした。中学生とか高校生のころ、派手な色に髪を染めて帰ったときも、「そんな色も似合っちゃうの?」なんて言ってくれたり。ずっと褒められて生きてきました。だからうちは「自己肯定感の塊」なんですよ。もし将来、子育てするときが来たら、絶対に母のように褒めて褒めて育てようって決めています。
── 今も、当時のお母さんの言葉を思い出すことはありますか?
信子さん:めっちゃあります。特に「今日はいいことをしたな」ってときに思い出すんですよ。たとえば、街中で大きい荷物を持って大変そうに階段を上がっているおばあちゃんに「持ちますよ」って声をかけたときとか。そういうときこそ、高校中退が決まった直後に母に言われた「本当は間違ったことをする人間じゃないって信じてる」の言葉がしみじみ脳裏に響くんです(笑)。
── 言いたくないけどつい小言を言ってしまうのが親心、という人も多いと思います。信子さんは親に注意された記憶はあまりないのですか?
信子さん:そうですね。帰宅が夜遅くなったりもしたけど、そういうときも「あ、よかった。心配した」って。「帰ってきたのが確認できたから、やっと寝られるわ〜」とか、明るく言うんです。
でも、その言葉の裏には「私のせいで寝られなかった」という意味も含まれているわけで。直接、注意された記憶はないものの、母とのそうした会話のなかで、ちょっとずつ、自分の非に気づかされていました。「はっ、ごめん」って。
そうした母とのやりとりがあったからこそ、人として進むべき道を踏み外さず、これまで生きてこられたような気がします。
取材・文:松崎愛香 写真:ぱーてぃーちゃん 信子