分娩台に上がる前の「ありがとう」が病気になる前の妻との最後の会話になるとは——。 2016年、第1子の出産時に突如襲った羊水塞栓症。一瞬にして妻子ともに重篤な後遺症を負い、妻は夫である荒木貴弘さんのことすら忘れてしまいました。医師から「2人同時の介護は難しい」と告げられながらも、自宅で二人を支える決断をした夫。過酷な運命を受け入れ、家族の新しい幸せを紡ぎ出してきた10年間の軌跡に迫ります。

分娩台に上がってすぐに、妻の容態に異変が

荒木貴弘
普段は副住職として働く荒木貴弘さん

── お寺の副住職を務める荒木さんですが、家庭では妻の明里さん、娘の朝咲(あさひ)さんの介護をされています。明るく、好奇心旺盛だった妻の明里さんは、2016年の出産時に羊水塞栓症(羊水が母体の血流に入り、重篤な反応を引き起こす)となり、ふたりとも後遺症を抱えることになったそうですね。出産時に羊水塞栓症を起こすのは極めて稀な症例で、約2万〜3万人の分娩に1例ほどとのことです。

 

まず、妻の明里さんとの出会いから結婚、出産に至るまでについて教えていただけますか?

 

荒木さん:僕が26歳のとき、先輩が仕事で海外に行くことになって、激励会も兼ねて、ダーツバーを貸し切ったんです。参加者が30人ほどいるなかで、たまたま隣のテーブルにいたのが明里でした。「きれいな人だなぁ」というのが僕の第一印象。6歳年上で、明るく活発で、積極的な人でした。自分は何が好きでどんなことに興味があると、初回からハッキリ言う人でしたね。

 

── その後、自然に交際が始まって。

 

荒木さん:はい。明里はインテリアコーディネーターの仕事をしていたので、吉祥寺あたりを散歩しながら家具や雑貨、インテリアを一緒に見るのが楽しかったですね。2人ともお酒が好きなので、飲み屋さん巡りもよくしました。明里はリーダー気質というか、僕をいつも引っ張っていってくれる感じで。明里といると楽しいし、何より自分らしくいられる。交際から1年くらい経った2010年に結婚しました。

 

── 結婚から数年経った2016年4月、明里さんが40歳のときに第1子を出産されます。妊娠中から何か違和感はあったのでしょうか。

 

荒木さん:いえ、妊娠中はずっと順調でした。出産当日は立ち会うために、僕も朝9時くらいに明里と一緒に病院に着きました。昼ごはんを食べ、陣痛促進剤を使いながら、夕方4時くらいに「そろそろ分娩台に上ろうか」となったんです。出産前の最後の会話は「お茶飲ませて」と言われてカップのお茶を渡して「ありがとう」とか、そんな感じだったと思います。

 

分娩台に上がってすぐですね、明里の様子が明らかにおかしい。呼吸が荒く、今にも身体が倒れそうになって。医師や看護師が慌てて「救急車!救急車!」って大声で言っているんです。もう何がなんだかわからない。地元の大きな病院に緊急搬送されましたが、「明里!明里!」と搬送先の病院中に聞こえるような大声で叫び続けました。搬送先では一瞬だけ明里の姿が見えたのですが、心配蘇生の機械が取り付けられた状態でした。

 

別室でしばらく待機をしていると、医師がやってきて、明里の状況の説明を受けたんです。

 

「出産時に羊水塞栓症が起きて心肺停止になり、低酸素脳症(循環不全または呼吸不全などにより、十分な酸素供給ができなくなり脳に障害をきたした病態)を発症した。予断を許さない状況で、あと1、2時間の命かもしれないし、助かったとしても植物状態だろう」と。いつ急変するかわからないから「最期に会っておいてください」とも医師から言われました。

寝たきりだった妻が3か月後に目を覚まし

荒木貴弘 明里 朝咲
2022年9月、出産から約6年、娘のママ友達との藤沢までブドウ狩に行ったとき

── かなり急展開かつ壮絶です。

 

荒木さん:僕も現実に起きていることなのか、信じられなかったですね。娘は救急搬送後に生まれましたが、「今のうちに抱っこしておいてください」と言われ、群馬の実家から出てきた明里の両親とともに、子どもを慌てて抱っこしました。

 

ただ、目まぐるしく事態が展開するなかで、予想外というか、ちょっと不思議な出来事があったんです。明里が病院に運ばれて2日目、僕も義理の両親もずっと泣きっぱなしのなか、僕の母が病院に到着したんです。母は普段は物静かで穏やかで、ちょっと天然っぽいところもあってやさしい人なんです。そんな母が僕を見るなり「あんた何泣いてるの!下向いてる場合じゃないわよ!今できることをしなきゃダメでしょ!」と言って突然、明里がいる部屋の壁に向かって「頑張れ!頑張れ!」って今まで聞いたことない大声で叫び出したんです。

 

「え…?そんな性格だったっけ?」と驚いて母を見ると「何やってるのよ!あんたも早く言いなさいよ!」と言われて、僕も慌てて「頑張れ!頑張れ!負けるな明里!」と叫び、明里の両親もつられてみんなで叫び続けました。周りから見たらどうしたの?って感じだったかもしれないけど、とにかく必死で声を送り続けました。

 

── お母さんが一瞬で空気を変えましたね。どんより落ち込んでいたところから、パワー全開で声を張り上げて。

 

荒木さん:はい。母の底力を見た気がしました。義理の両親がいったん群馬に戻るときも「きみのお母さんすごい人だ」と驚いていました。でも後日、実家に戻った母に連絡を取ると、またいつもの物静かな母に戻っていたんです。今思い返しても不思議です。

 

その後、明里は数か月は寝たきりのまま入院生活が続き、明里がちゃんと目を覚ましたのは出産から3か月経ったときです。その前から目が開いているような閉じているようなボンヤリした感じはありましたが、その日は明里の病室に行くと、明らかにパッと目が開いていたんです。「ワッ!前の明里の顔に戻ってる…!」ってびっくりしました。目が開いたからと言って、すぐに言葉が出てきたわけでないですが、「あー」「うー」とか声を出していたのかな。数日後には「お母…さん…」とか、か細い声で言葉が出ることがありました。

 

そこから懸命にリハビリを行いましたが、産後すぐに専門病院に入院していた娘も含め、「低酸素症の後遺症で会話は困難で、この先も1人で立つことや歩くことはできない。退院後も、常に介護が必要な状態」だと医師に言われていました。

 

── その後、明里さんは出産から約1年、娘の朝咲(あさひ)さんは半年後に退院されて2人とも在宅介護になります。医師からは当初、2人同時の介護は難しいと言われていたそうですね。

 

荒木さん:はい。でもやってみなければわからないですよね。医療やヘルパーさんなど介護の体制を整え、やれるだけやってみようと思ったんです。

 

僕は湘南にあるお寺を継ぐために養子に入り、副住職を務めているのですが、夫婦それぞれの両親と、(湘南のお寺の)僕の養父母という「3組の親」が支えてくれることも、決断をあと押ししてくれました。養父母は直接、妻や娘の介護をするわけではないのですが、家族の状況を理解し、温容をもって接してくれています。

「私、結婚してない」妻から抜け落ちた夫婦の記憶

── 入院中は会話が難しかったそうですが、退院後は変化はありましたか?

 

荒木さん:少しだけ意思の疎通ができるようになりました。こちらから質問するとなんとなく意味はわかるようで、ごく簡単な答えが返ってくるようになって。年齢を聞くと「18歳」と答えるので、「一番いいときじゃないか」と突っ込むんですけど(笑)。

 

ただ、僕のことは今も思い出せないようです。子どもの頃のことや両親については覚えているようですが、僕と出会ったあたりの記憶が抜けているらしくて。結婚したことも、子どもが生まれたこともわかっていないようです。「俺、誰だかわかる?」と聞くと「わからない」と言われ、「結婚してるんだよ」と言うと「私、結婚してない」「独身」とハッキリ言われます。

 

── それはつらいですね。

 

荒木さん:はい。でも、10年経った今は、冗談っぽくしょっちゅうプロポーズしています。明里が「僕と結婚してない」と言うので、「じゃあ、もう1回結婚してって言ったらどうする?結婚してくれる?」と聞くと、「うん」と言うときもあれば、「やだ」「ヘヘっ」って笑うだけのときもあって、その都度反応が違うんですけど。

 

僕も無理に思い出してもらうのではなく「覚えてないの〜?じゃあ、また結婚できるじゃない」と、今はそれくらいの感じで会話していますね。明里の反応が悪いときは「嫌なの?俺、こんなに頑張ってるのに結婚やだって言われちゃったよ〜」「じゃあ、今日も美味しいご飯作って、もう1回プロポーズしてみようかな」と言ってみたり。

 

この先も長い介護生活が続きます。起きた出来事は想像を絶するものでしたし、すぐに現実を受け入れたわけではありません。出産から10年経った今でも、気持ちの揺らぎを感じることもあります。

 

でも羊水塞栓症が起きるリスクは誰にでもありますし、防ぎようがありません。この先は明里も朝咲の状態も変化していくでしょうし、日々介護の方法をアップデートしながら、僕ができることを続けていこうと思っています。

 

取材・文:松永怜 写真:荒木貴弘