「あかん、俺は芸人やのに、なにを反省してんねん!」。人気急落後に始めたテレアポの仕事が優秀すぎて「こっちで花開いてしまいそう…」と恐怖を覚えた天津木村さん。ロケバス運転手として後輩を乗せては凹み、将来への不安しかない40代の悪循環にいた彼が、他人との比較をやめて前を向けた理由を伺いました。
10年の下積みからブレイクも「調子に乗っていた」

── 2008年に詩吟ネタでブレイクされ、決めゼリフの「あると思います」は2009年の『新語・流行語大賞』にノミネートされました。当時、ご自身的に「売れた」という実感はありましたか?
木村さん:芸歴10年目ぐらいやったんですけど、それはまではずっと大阪で下積み生活やったんで、これでようやく東京のテレビに出られるなと。「売れるって、こんな感じなんや」と思いました。大阪に宗右衛門町という街があるんですけど、そこで店への呼び込みをやっているアジア系のおばちゃんに「かわいい子、あると思います」みたいなことを言われて(笑)。そのときにこういう人まで「僕のことを知ってくれてるんや」と思いました。
── 10年の下積みを経てのブレイクだと、浮かれてしまうこともあったのでは?
木村さん:周りに「一発屋芸人」と呼ばれる人たちがたくさんいて、なかには「調子に乗ってるな」と感じる人もいたので、自分はそうならないように気をつけようと思っていました。
でも、妻がある雨の日に自転車でアルバイトに行こうとする姿を見て、「タクシーで行ったらええやん。お金はあるんやし」と言ってしまったんですね。そうしたら妻が「今は仕事があるからといっても、いつまであるかわからへんやん」と返してきて、「ああ、自分は調子に乗っていたんやな」と反省しました。
── 奥さんの言葉どおり、『新語・流行語大賞』にノミネートされて以降、仕事が徐々に減ってきたそうですね。ご自身的に「風向きが変わってきた」と感じた瞬間はありましたか?
木村さん:やっぱり詩吟ネタをやっても、どんどんウケなくなってくるんですよね。テレビ局の人たちからも「ほかのパターンはありますか?」と言われるようになってきて、自分でも別パターンの詩吟をいろいろ考えるんですけど全然ダメ。「これは完全に悪循環に陥っているな」と思っていたら、前まではびっしり入っていた仕事のスケジュールがぽつぽつ空きだして。いつの間にか自分も「一発屋芸人」になっていました。
── その状況を自分で受け入れることはできましたか?
木村さん:当時の僕はまだ「一発屋芸人」と呼ばれることに抗っていました。でも周囲から「一発屋芸人会というのがあるんだけど、入らないか?」と誘われて。「周りからはそう見られているんや」と、そのときに宣告を受けた気がしました。
でも、その「一発屋芸人会」がめちゃくちゃ居心地よかったんです。「この前、こんな大きな仕事をした」「みんな拍手だ!」と互いに励まし合っていて、気づいたら「一発屋芸人会」にどっぷり入っていました(笑)。
── 自分の立場を徐々に受け入れ始めたいっぽうで、芸人としての収入は減っていったと思います。奥さんからなにか言われましたか?
木村さん:まったく。ただ、当時は家賃が高いマンションに住んでいたので、僕が「引っ越さなあかんわ」と言うと、妻は「せやな。次の家を探そか」と。そういう状況を一緒に乗りきろうとしてくれている感じがありました。ありがたいですね。
テレアポで出世しかけ「あかん、俺は芸人やのに」
── その後、ロケバスの運転手をはじめ、さまざまなアルバイトをされたそうですね。芸人としての自分と今の自分にギャップを感じることはありませんでしたか?
木村さん:それはありましたね。ロケバスの運転手は芸能人をロケ地まで運ぶ仕事なので、自分もそっち側にいたはずやのに「あれ?」と思って。車の運転が好きなんで「運転、楽しい!」と最初こそ思っていたけど、大阪で一緒に切磋琢磨してきたダイアンやかまいたちが売れてきて、彼らを乗せたときには「俺、何をやってんねん」って、相当ダメージを食らいました。
── バラエティ番組で「あれ?木村さん、何をやってるんですか?」とイジられることもあったと思います。そのときの正直な気持ちはどうでしたか?
木村さん:恥ずかしながら、嬉しかったです。それがきっかけでテレビに出られるので。
── プライドよりも喜びが優ってしまうんですね。でも、ご自身も芸人だからこそ、売れている人を間近に見るのはつらい経験だったと思います。まったく違う道を進む選択肢はなかったのでしょうか?
木村さん:生活費を稼がないといけないので、ロケバスの運転手になる前はテレアポのアルバイトをしたこともあるんですよ。『M-1グランプリ』で優勝する前の「とろサーモン」の村田(秀亮)くんに誘われて一緒にやったんですけど、ある日の帰りに「今日のアポどりのファーストアタック、もうちょっとこうやったほうがよかったかな?」と仕事の反省をしている自分にハッとして、「あかん、俺は芸人やのに、なにを反省してんねん!」と思って辞めました。
しかも、テレアポの仕事をやったのは3か月くらいやったのに、僕、出世しかけたんですよ。だいたいアルバイトの子は「ファーストアタック」しか任せてもらえないんですけど、上司の方から「木村くん、(相手企業と詰めた交渉を行う)サードアタックをやってみないか?」と言われて。それで「こっちで花開いてしまいそう…」と怖くなったのも辞めた理由のひとつです。
── さすがは芸人さん。会話術に長けているんでしょうね。
木村さん:でも、自分の興味がないことはやっていても楽しくないので。自分の好きなことを考えたときに「自分は車の運転が好き」だと気づいたんですね。それでロケバス運転手の道を選んだんですけど、「まだまだ芸能界に関わっていたい」という未練というか、「もう1回、売れたい」という思いがあったのも事実です。
ただ、ロケバス運転手時代も「うちで働かないか」と、他社から引き抜きのお話をいただいたことがありましたね。
── どこの世界でも引っ張りだこじゃないですか。
木村さん:芸人として以外は、ですけど(苦笑)。