過酷な環境を生き抜けた恩師の教えと父の厳しさ

── 宝塚音楽学校に合格するのは至難の業といわれますが、受験までの道のりは大変でしたか。
天咲さん:振り返ってみると、あのハードなスケジュールでレッスンに通い続けていた自分を、よく頑張っていたなと思いますし、それを支えてくれた母の存在の大きさも改めて感じます。もし自分の娘が「宝塚を受験したい」と言ったとき、当時の母のように伴走できるかどうか、正直わからないと思うほどです。
当時の私は、周りの方々に助けられながら、特にバレエ教室の先生に大きく支えられていました。技術だけでなく、人生のことや女性としての在り方まで教えてくださる方で、私にとってはもうひとりの母のような存在でした。心から憧れていて、その先生がいたからこそ続けられたのだと思います。
先生は「合格だけがゴールではない」と常に伝えてくださっていて、その言葉を若いながらも受け止められたことが、折れずに頑張れた理由のひとつでした。もし合格だけを目指していたら、途中で気持ちが折れていたかもしれません。仲間にも恵まれていて、人生ごと成長させてもらえるような時期だったので、悲壮感ばかりではなく、どこか楽しさを感じながら取り組めていたように思います。
── 宝塚音楽学校での生活は、お父さんの厳しさと比べていかがでしたか。
天咲さん:よく、音楽学校は軍隊より厳しいなどと言われますが、私にとってはむしろ自由の象徴でした。たしかに上下関係や規律は厳格でしたが、そこには理不尽な恐怖ではなく、プロの舞台人になるための目的のある規律がありました。
同期たちはホームシックで泣いていることもありましたけど、私は一度も泣くことはなかったですね。「父に怒られるより100倍マシだ」と本気で思っていたからです。また、受験時代の恩師が「合格はゴールではなく、そこからどう生きるかが大事」と教えてくださったことも支えになりました。父の厳しさが、皮肉にもどんなに過酷な環境でも生き抜ける、精神的なタフさを私に授けてくれていました。
取材・文:石井宏美 写真:天咲千華