育児に専念できず後悔の念も娘からのひと言に救われ

── 歳を重ねるごとに進化を続けているのですね。つねに挑戦し続けている杉浦さんを、ご家族はなんとおっしゃっていますか?

 

杉浦さん:家族は「いつも止めてもどうせやるよね」って、諦めている感じですね(笑)。息子は「自分の人生なので好きにやってください」と見守ってくれています。娘は私が事故に遭ったときは、まだ中学生だったので不安だったと思います。でもその後、「ママと一緒に自転車に乗りたい」と言ってくれて。私の思いを察してくれたのかもしれません。

 

── 育児中の30代や40代の女性は家族を優先しがちで、自分のやりたいことを後回しにしてしまうことも多いかと思います。杉浦さんは、ご自身のキャリアを振り返って育児と仕事や、競技人生との両立をどう受け止めていますか?

 

杉浦さん:私の父は、母のことを「自分はダメだけれど、うちの奥さんは自慢の妻だ」っていつも言っていたんです。そういう両親の姿を見てきたので、自分はどうだったんだろうって振り返って反省することもあります。「育児をちゃんとやってこなかったな」って子どもに対して悪く思うこともたくさんありますし…。 

 

でもこの前、娘が「ママはカッコいいっていつも思っていたよ」って言ってくれて。私が残業のとき、娘は私の勤務先の薬局に来て、宿題をやりながら仕事が終わるのを待っていたものでした。そんなときに、私が患者さんに薬のアドバイスをしている姿を見て、カッコいいなって思っていたと言うんです。それを聞いてすごく嬉しかったし、救われた気持ちになりました。

 

娘から「私も人に役立つ仕事がしたいと思って栄養士を選んだ」とも聞いて、娘とは道は違っても、私が薬剤師の仕事を続けて背中を見せてきたことは悪くはなかったのかなって思えました。ちなみに息子は、家に競技自転車がある環境だったので興味を持ったのか、大学時代に自転車部に入部して。コロナ前まではアマチュアとしてJプロツアーに出場したりしていました。

 

振り返ると、私は自分ひとりで子育てをしなくてよかったと思っていて。19歳から母親として右も左もわからずやってきたので、自分だけで子どもを育てる自信はまったくありませんでした。でも、こういう私だからこそ、いろんな人が手を貸してくれて、いろんな人に育ててもらえた。だからいろいろな人の手で子どもを育てて行ける社会もいいのではないかなと感じています。

 

今は息子も娘も社会人。親の役割はひと段落したので、2018年に夫との離婚を決断しました。婚姻関係を続けると、お互いに頼りすぎてしまうと思ったので。今はほどよい距離感を保てていると思います。とはいえ、子どもたちの親であることは一生変わらないし、今は息子の子どもの「じいじとばあば」という関係で繋がっている感じです。

 

杉浦佳子
 「アジアパラ競技大会」出場の目標を掲げ、トレーニングに励む日々。体年齢はなんと20代なのだとか

── 自分たちに合った関係性を再構築されたのですね。家族関係をリセットしつつ、現在も競技は継続されているそうですが、今後の目標はなんでしょうか?

 

杉浦さん:アスリートとしての目標は、今年日本で開催される『アジアパラ競技大会』に出場することです。自転車競技だけ地元の静岡県で開催されるのですが、ロードレースのゴール地点は奇しくも私が事故に遭った場所なんです。それを知って「アジアパラだけはどうしても出たい」と強く思ったんですよね。現在は強化指定から外れてしまい、日本代表ではないのですが、一定の基準を達成すれば検討対象になるようなので、障害者としての第一歩を踏み出した地点をゴールとして目指したいと思っています。

 

やっぱり若い選手にはかなわないのですが、それでも自分の経験値とスキルで勝つしかない。それで勝てたとしたら、自分の知識や経験を広めることで、年をとるのも怖くないって伝えたいです。ロードレースではそういう走りをするので、ぜひみなさんに見ていただきたいと思っています。

 

取材・文:池守りぜね 写真:杉浦佳子