東京パラリンピックのパラサイクリング女子個人ロードレースで金メダルを獲得した杉浦佳子さん。50歳の金メダリストとして華々しく脚光を浴びましたが、ロードレース中の大事故を乗り越えるまでの道のりは簡単ではありませんでした。それでも「もう一度自転車に乗りたい」という信念が、彼女を突き動かしたのです。

レース中に大事故。周囲は「自転車を全部処分しろ」

── ロードレースを本格的に始めたばかりの頃に大事故に遭い、深刻な脳損傷を負われたそうですね。右半身まひの後遺症も残るなどつらい経験をしながらも、「もう一度、自転車に乗りたい」と感じたのはなぜでしょうか?

 

杉浦さん:怖さはありました。でもやっぱり私、本当に自転車が好きで。「もう一度自転車に乗ってあの爽快感を味わいたい」気持ちが強かったんです。とはいえ、事故後は手足がまったく動かない状態でした。リハビリの先生が手の可動域を分度器で測ってくれて、全然上がらないところから、まず90度まで手を上げることを目標にしました。リハビリをコツコツ続けると、体がそれに応えて、どんどん動くようになっていく。その過程が楽しかったんですよね。

 

── とはいえ、ご家族から反対の声はあがらなかったのでしょうか。 

 

杉浦さん:じつはいちばん反対していたのは、勤務先の調剤薬局の社長でした。社長は私が入院しているときに家族に会いにきて、「家にある自転車も全部処分してくれ。頼むからロードレースの練習はやめてほしい」と言ったそうです。でも、家族は私の性格をわかっていたので、「止めても無駄だろう」と思っていたようです。

 

── 結局、ご自身の意思で自転車のトレーニングを開始されました。2021年の東京パラリンピックに挑戦されたきっかけはなんだったのでしょうか?

 

杉浦さん:最初は、パラリンピックに出ようなんて考えてもみませんでした。そもそも、パラリンピックは、四肢の欠損や視覚に障害がある人が参加できる競技だと思い込んでいて。私は手足もあるし、脳損傷の影響で記憶障害はありましたが、それも克服して薬剤師に戻れたので、自分は障害者じゃないと思っていたんです。だから、また健常者として、トライアスロンに出たいという気持ちがありました。

 

でもロードレースにすぐ復帰するのは怖かったので、コーチに「トライアスロンに出たいのでメニューを組んでほしい」と頼んで。もう二度と自転車で転ばないように基礎練習を徹底しようと考え、子どもが自転車の練習に通う交通公園で8の字の練習から始めました。

 

そんなとき、パラサイクリング連盟の監督から「佳子さんの障害レベルなら、パラサイクリングに挑戦できるはずだ。やってみないか」と声をかけられたんです。そんなに言うならと、医師に「私、障害者ではないですよね?」と確認したところ、「いや、あなたは障害者です」とはっきり言われたんですね。そこで初めて、「そうか、私は障害者なんだ」と認識し、パラサイクリングに挑戦している障害者の方と会ってみたいと思いました。

 

特に、私と同じ高次脳機能障害を経験をされた方がどんな活動をされているのか知りたいと思い、同じ障害のある方が活動されているパラサイクリングの練習に参加したら、こんなに奥深い世界があるのかと。障害がある方が自転車で颯爽と走るそのカッコよさに、すっかりハマってしまいました。

 

杉浦佳子
マネージャー(写真左)など周囲の協力もあり、今ではパラサイクリングの第一人者となった杉浦さん

── その後、『パラサイクリング・ロード世界選手権』では、タイムトライアルやロードレースで優勝されました。2018年には、年間ワールドカップのロードレースの成績が評価され、日本人で初めて『パラサイクリング賞』を受賞されたそうですね。

 

杉浦さん:そうなんです。理事にアジア出身の方がひとりいらして、すごく喜んでくださいました。そこから東京パラリンピックを意識するようになったと思います。東京パラリンピックで金メダルをとったときは、いろんな方が喜んでくださって、本当に報われたなと思いました。当時、私は50歳でした。ちなみに、52歳のときには「トラック500mタイムトライアル」種目で自己ベストを更新したんですよ。