歩けないのに立ち上がり「仕事に行かなくちゃ」と

── 車いすが必要なほどの後遺症を負ったとなれば、自宅に帰るのもだいぶ時間がかかったのでは。

 

杉浦さん:それが、リハビリ病院を退院したあとは普通に家に戻れました。私、歩いたんですよ。車いすが用意されていたのに。病院の先生たちもびっくりしていました。最初の病院では車いすがないと動けないくらいの状況だったのに、勝手にベッドから立ち上がって歩こうとしては転んでいたと後で聞きました。危ないからベッドに拘束せざるを得なかったみたいです。それでも「仕事に行かなくちゃ」と言って拘束を自分で外して外に出ようとしたり…周囲の人にはたくさん心配と迷惑をかけました。

 

── どうしても「仕事に戻りたい」という気持ちが強かったのでしょうか。

 

杉浦さん:そうだと思います。「薬剤師には戻れない」と医師に言われたときの記憶はないけれど、「いや、戻ります」と言ったと思うし、実際「戻ろう」と思っていたはずです。

 

もともと私は、大学1年で妊娠し出産を決意したため、1年たらずで大学を中退した経験があります。大学で学び直して資格を取ることを目標に、子育てと大学生活を必死に両立した末、国家試験に合格し、薬剤師になりました。このときにがむしゃらに勉強して掴んだ資格を簡単には手放せない気持ちが、記憶障害になってもどこかにずっとあったのかもしれません。私にとって、学んで知識を得るということは、人生を切り開くために何より必要なもの。だから、この状況も克服できたのかなという気がします。

 

最初は10分程度しかもたなかった記憶も取り戻そうと、赤ちゃんが読むような絵本を使って、1個1個の単語を言語聴覚士さんに教えてもらうことから始めて。あとは漢字ドリルや計算ドリルを解き続けました。それが一つひとつできるようになっていくのが嬉しかった。薬剤師の勉強も趣味の自転車もそうですが、できることが増えていく達成感が、私にとっては何よりのご褒美なんですよね。結局、退院前に知能テストを受けたら、IQがすごく高くなっていて。担当医から「薬剤師にも戻れますね」と太鼓判を押されたときは本当に嬉しかったです。

 

杉浦佳子
「2026 全日本自転車競技選手権大会 トラック・レース(パラサイクリング)」での杉浦さん。2024年、パラリンピック金メダル獲得以後も、挑戦し続けている

── にわかには信じがたいほどの、ものすごい回復力だと思います。

 

杉浦さん:今でも、初めて私の脳のCT画像を見た脳外科の医師は「杉浦さん、お話しできますか?私が言っていることがわかりますか?」って、まるで幼子に話しかけるように接してくるんです。パラスポーツ大会に出場する際は、障がい者かどうかを判断するための診察が必要なのですが、そこでCTやMRIを見た医師からも「この状態で自転車に乗れるの!?」と驚かれます。だから、今も脳は確実に損傷している状態なのだと思います。

 

── 今お話をお聞きしていても、まったく違和感はないです。すべて杉浦さんの努力の成果なのですね。現在の記憶力は、どのような状況なのでしょうか?

 

杉浦さん:徐々に長期記憶が普通レベルに戻りつつあります。数年前のことは、日記を読み返すと思い出せるくらいになっています。私は実質、認知症の状態から回復した例と言えるんじゃないかと思います。

 

そんな私がみなさんにお伝えしたいのが、記憶障害があって具体的な状況の記憶は残っていないとしても、つらいとか悲しいという感情は消えずに残っている、ということです。何があってどんな気持ちになったのか、全部忘れてしまうわけではない。そういう意味では、普通の人間のままなんです。それを忘れないで接してほしいと思います。

 

でもきっと、世の中には認知症患者との接し方がわからず困っている家族は多いでしょう。だからこれからは、そういった方々に認知症患者の方への接し方を伝えていけたらと思っています。自分が記憶障害になった経験を認知症を患っている方の家族に共有して、少しでも役に立てたら嬉しいです。

 

取材・文:池守りぜね 写真:杉浦佳子