2021年に開催された東京パラリンピックにおいて、パラサイクリング女子個人ロードレースで金メダルを獲得した杉浦佳子さん。実は、大学在学中の18歳で出産と大学中退を経験しています。その後、不屈の精神で別の大学を再受験し、見事合格。その背景には、大学生の夫と無職の妻、幼子の3人暮らしのなかで感じた「限界」がありました。
大学1年で妊娠し出産を決意「ヤンママ認定されて」
── 静岡の高校を卒業後、仙台の薬科大学に進学したものの、大学1年の18歳のときに妊娠がわかったそうですね。
杉浦さん:はい。実家は曾祖父の代から続く薬店でした。母や祖母が働く姿を見て育ったので、私も自然と薬剤師を目指すようになって。地元の静岡には私立の薬学部がなかったので、仙台の大学に進学しました。
ところが、大学に入学した年の8月に18歳で妊娠したんです。せっかく授かった命ですし、産み育てる以外の選択肢は私にはありませんでした。結局、その年の年末に退学を決め、19歳で出産。親不孝ですよね…。

── かなり大きな決断だったと思います。お相手はどういった方だったのですか?
杉浦さん:高校の同級生です。彼は東京の大学に進学していたので、遠距離恋愛でした。高校の先生に報告したらすごく怒られて。「せっかく大学に進学したのに、すぐ辞めるのか」って。すぐに退学すると出身校のイメージが悪くなることを後から聞いて。当時はただただ「迷惑をかけたみなさんに申し訳ない」という気持ちでした。
── ご両親は、どのような反応を…?
杉浦さん:両親もつらかったと思います。母は比較的ふくよかなほうでしたが、この騒動ですっかり痩せてしまって…。心配をかけました。でも母にも父にも「せっかく授かった命だから」という思いがあったようで、私の決断をあと押ししてくれました。
出産前に結婚したいと彼に相談し、向こうのご両親にご挨拶に行ったのが年明けの1月のことです。顔合わせをしたものの、向こうのご両親はおし黙ったままで。こちらもなんと言い出せばよいかわからず、長い沈黙の時間がありました。そのときに父が、「こんな娘ですが、もらってやってくれませんか」と口火を切ったんです。そこで場の空気がふっと変わり、向こうのご両親も「こちらこそ、よろしくお願いします」と応じてくださいました。
向こうのご両親は、当時学生だった私を妊娠させたことを思うと気まずく、面と向かってなんと言えばいいのか、言葉が見つからなかったのだと思います。父の言葉はきっと、その心中を察してのものだったのでしょう。10代の頃は正直、父が苦手だったんですけど、そのとき初めて「このお父さんでよかった」と思いました。
── 素敵なお父さんですね。双方の両親から許しを得て、ご結婚されたわけですが、当時、旦那さんはまだ大学生。慣れない土地で初めての出産を控えて、かなり不安だったのでは。
杉浦さん:不安に思っている暇がないほど、余裕のない生活をしていたように思います。結婚後は夫が通う大学から近い場所でアパートを探して引っ越したのですが、とにかくつわりがしんどくて。引っ越したばかりでやるべきことが次から次へとやってきて、それをこなすのに精一杯でした。
いわゆる「できちゃった婚」だったうえ、19歳での結婚はやはり印象がよくなくて。地元ではよからぬ噂も広まり、帰省できる雰囲気ではありませんでした。産後は祖母がアパートで寝泊まりしてくれ、慣れるまで一緒に子どもの世話をしてくれました。