腎臓はひとつあれば生きていけるとはいえ、家族といえども片方を無条件で差し出されたら、どういう感情がうごめくのでしょうか。紅白歌手の松原のぶえさんは、弟から腎臓を提供され、いまも歌手活動を続けています。提供する側もされる側もきっとあっただろう葛藤や悩み、耳を傾けてみると意外な話がこぼれてきました。
「移植しよう、腎臓あげるから」と告げた弟
── 40代で重い腎不全を患い、人工透析を受けながらステージに立ち続けた演歌歌手の松原のぶえさん。透析と仕事を両立する日々が続くなか、実弟で事務所社長の廣原伸輝さんから、思いがけない言葉を告げられたそうですね。
松原さん:2009年4月、公演へ向かう車内でのことでした。まるで仕事の予定でも決めるような調子で、弟が「来月、移植手術をしよう。僕の腎臓あげるから」と、言ってきたんです。あまりに突然で「何言ってるの?そんなのムリに決まってるじゃない」と、思わず言い返したのですが、本人は「もう決めたことだから」と動じる様子もなくて。
じつは以前、病院で移植コーディネーターの方から、ドナー登録をして提供者を待つか、身内から生体腎移植を受けるか、それ以外は生涯透析を続けることになると説明を受けていました。弟も隣で聞いていたので、もしかしたらそのときからすでに考えていたかもしれません。

── 家族とはいえ、自身の臓器を提供するとなれば躊躇すると思うのですが、弟さんの覚悟をどう受け止めたのでしょう。
松原さん:本人のなかでは、そこまで深刻には捉えていなかったようです。「腎臓はふだん半分程度しか稼働していないから支障はない。自分は丈夫だから平気だろう」という根拠のない自信もあったみたいで。
驚いたのは、私に相談する前にすべての準備を整えていたことです。「この病院に入院して、この先生に手術をしてもらうから」と、日程まで決まっていましたし、「同じ病気で苦しんでいる人の励みになるかもしれない」と、ドキュメンタリー番組の撮影を入れることまで決まっていました。もう本当にあれよあれよという間でした。
── とはいえ、弟さんの体にメスを入れることには、やはりためらいがあったそうですね。
松原さん:ものすごく葛藤して手術の直前まで迷いました。透析を続ければ歌は続けられる。でも移植となれば、健康な弟の体にメスを入れ、大切な臓器を1つもらうことになります。ふたつ返事で「はい」とは言えませんでした。もし、提供してくれた弟の残りの腎臓まで悪くなったらどうしようと、いろいろ考えてしまって。手術の準備へ向かう弟を見送るときにも、「本当にいいの?やめるなら今しかないよ」と、声をかけたほどでした。