透析を始めれば歌えなくなるという不安が渦巻き
── 透析を始めれば歌えなくなるかもしれないという不安が大きかったのですね。その後は、薬だけでコントロールできていたのですか?
松原さん:ムリでした。やがて食べ物や飲み物を少し口にしただけで全部吐くようになりました。さらには、何も食べていなくても噴水のように急に吐いてしまうんです。そのうち体を伸ばして眠ることもできなくなり、膝を抱えるような姿勢で眠るしかありませんでした。後から聞いたのですが、当時は肺に水がたまり、心臓が圧迫されていたそうです。
いよいよ限界を迎え、ついに透析を始めざるを得なくなったのですが、いざ治療に入る段になっても、 歌えなくなるのではないかという不安はぬぐえず、「透析をしても歌は歌い続けられるんですよね?」と、何度も先生に確認しました。「体の中の毒素を出さなければ、それこそ好きな歌の仕事もできなくなる」と言われ、泣く泣く週3回の透析を受け入れることにしたんです。ところが、いざ治療が始まると、思わぬ壁にぶつかりました。
── 思わぬ壁、ですか。いったいなにがあったのでしょう。
松原さん:透析は1回だいたい5時間ほど受けるのですが、私は3時間を過ぎたあたりから全身が硬直し始めて、苦しくて耐えられなくなってしまうんです。どうやら長時間の透析に耐えられない体質らしく、3時間が限界。そのため、(5時間かけて行う)体内の毒素を十分に抜ききることができず、全身に斑点が出て、ひどいかゆみに襲われました。
── お仕事柄、全国への移動も多いと思います。週3回の透析を受けながら、どのようにスケジュールを両立されていたのですか。
松原さん:公演先の近くで透析ができる施設をそのつど探し、透析を受けてから、1日2回のステージに立っていましたね。毎回、調整がかなり大変でしたけれど、透析は命綱でしたから。
── 透析を受けながらステージに立つのは、体力的にかなり厳しかったのではないでしょうか。しかも完全に毒素が抜けきらない状態です。声やパフォーマンスにも影響が出たのでは。
松原さん:やっぱり影響は出てきていました。それまでスムーズに出ていた高音が出しづらくなり、きれいに響いていた声も少し鈍って聞こえる。「そろそろ歌えなくなるのかな」と怖くなりました。もっと早く病院へ行っていればよかった、自分のせいだと何度も思いましたね。
ただ、楽屋では立っているのもしんどいのに、不思議とステージに出るとその苦しさを忘れるんです。歌うこと自体が、私の気力になっていたのだと思います。
コンサートに復帰「当たり前じゃない」
── 2009年に弟さんから生体腎移植を受け、術後わずか2週間でコンサート活動を再開されています。本来ならまだ療養しているはずの時期に、これほど早く舞台へ戻ると決めたのはなぜだったのでしょう。
松原さん:どうしても動かせない大事なコンサートだったんです。本当なら3週間ほど入院するところを、1週間ほど早く退院しました。「それまでに何とか元気になって歌えるようにならなければ」と発声練習をしていました。舞台に復帰することが、入院中の大きな支えにもなっていたんです。

── そうして迎えた復帰の舞台。ステージに立ち、どんなことを感じましたか。
松原さん:ステージに出た瞬間、お客さんから「お帰りなさい!」と、一斉に声があがりました。本当に嬉しくて、涙が出そうになりました。傷自体の痛みはそれほど感じなかったのですが、「縫ったところがパンとはじけたらどうしよう…」と、ありえない心配をしてしまい、着物の上から腎臓のあたりをそっと押さえながら歌ったのを覚えています。
その日は主治医の先生も会場に駆けつけてくれたんです。終演後、先生が「お客さんの声援を聞いて、思わず泣いちゃったよ。この手術をして本当によかった」と。その言葉に、「今こうして歌えることは、決して当たり前ではないのだな」とあらためて感じました。以来、1回1回のステージにかける思いは、これまで以上に強くなりましたね。
「風邪くらいなら大丈夫」と考え、受診が遅れたことは今も悔やんでいます。もっと早く自分の体と向き合っていれば、ここまで悪化させずに済んだかもしれません。それ以来、腎機能が低下しないよう、漬物に醤油をかけない、ラーメンのスープは飲まない、夜9時以降は食事をとらないなど、日々の食生活、とくに塩分には気を配るようになりました。皆さんもご自身の体を過信せず、病院と上手に付き合いながら日々のメンテナンスを大切にしていただきたいです。
取材・文:西尾英子 写真:松原のぶえ