「咳くらい」と侮っていたことで腎機能を低下させ、気づけば腎臓の2%しか働かない体になっていた松原のぶえさん。診察を受けた大学病院では「あと1日遅かったら、命を落としていた可能性もあるよ」と言われたそうですが、倒れるまで自覚症状はほとんどなかったと言います。
腎臓が2%しか機能しなかった
── 長年、演歌歌手として第一線で活躍を続ける松原のぶえさん。40代の頃、風邪をこじらせたことをきっかけに腎機能が著しく低下し、重篤な状態に陥ったといいます。最初に感じた異変はどのようなものだったのでしょう。
松原さん:倒れる直前まで、自覚症状はほとんどなかったんです。ただ、そのときの風邪は明らかにいつもと違っていました。それまでは薬を飲んで寝ていれば治っていたのに、そのときは咳をするとなぜか薬のような匂いがして。「おかしいな」と思っているうちに、声が出なくなりました。
同時に、人に会うたびに「どこかバカンスにでも行ってきたの?」とやけに聞かれるようになって。もともと地黒で田舎育ちだからと思って気に留めていなかったのですが、後から思えば、それほど顔色もおかしかったのかもしれません。
その後、自宅近くの病院を受診すると「うちでは診られないから」と、大学病院を紹介され、検査の結果、2つの腎臓を合わせても2%しか機能していないことがわかったんです。
── 2つあわせて、たった2%とは…。
松原さん:先生からは「ふつうなら尿毒症を起こして命を落とすか、日常生活を送れない状態になっていたとしてもおかしくない、よくこの状態で生活が送れていたね。あと1日遅かったら、命を落としていた可能性もあるよ」と言われ、驚きました。すぐに帰れるつもりで受診したのですが「この状態では帰すわけにはいきません」と言われ、そのまま入院することに。
じつは4歳の頃、腎臓病で1度入院したことがありました。でも、退院後は薬も通院も必要なく、その後もずっと元気だったので、てっきり治ったものだと思っていたんです。歌手になってからは、ツアーで各地を回り、ムリをするのが当たり前になっていました。ステージではお手洗いに行きたくても、途中で抜けるわけにはいきませんから、自然と我慢する習慣もついていたんです。今振り返れば、そうした生活も腎臓に負担をかけていたのかもしれません。
入院中、先生から「もう透析をするしかありません」と告げられました。でも「それは困ります」と断ったんです。

── 命に関わる状況ですよね?それなのに、なぜ透析を拒否されたのですか。
松原さん:当時は透析について十分な知識がなく、やり始めたら仕事ができなくなると思い込んでいたんです。ステージに穴をあけてしまうのが怖くて。「今はムリなので、可能な限り薬で抑えられないでしょうか?」と先生にお願いしました。
「次に倒れたときは本当に死ぬかもしれませんよ」と言われましたが、当時の私には死ぬことよりも、歌えなくなることのほうが怖かったんです。私を育ててくれた周りの皆さんのことを思うと「私の体であって、私の体じゃない。ここで歌をやめるわけにはいかない」という思いがあって。そこからしばらくは薬を飲みながら仕事を続けていました。