海外留学に歌手挑戦「その後の数奇な運命」
── 23歳で引退を決意されて、アメリカに行ったそうですね。それはどうしてだったのですか?
西脇さん:辞めてからは、自分が次に何をしたいのかわからず悩んでいました。それで、アメリカ・LAへ行くことにしたんです。環境をガラッと変えようと思って。語学留学という形だったのですが、私は高校も中退していたから、学生生活をしてみたかったのもありました。現地では年下の若い子たちと自由な時間を過ごせてすごく楽しかったです。
環境を変えることって大事ですね。17歳で上京し、プロレスという狭い世界しか知らず、そのプロレスも辞めて行き詰まってしまいましたが、留学したことで「自分もまだ何かできる」と思いました。それが何かはまだわかっていなくても、立ち止まらずにとにかく動けば、人生も動いていくんですよね。
運転免許も向こうで取りましたし、学校で勉強しながら、リトル東京のしゃぶしゃぶ屋さんでアルバイトも。学生ですからお金がなくて、日本から遊びに来たアジャ・コングや友人が、「このチーズケーキを3口で食べたら100ドルあげますよ」なんて冗談言うんですけど、お金欲しさに本気でやりました(笑)。後輩相手でしたが、ある意味プライドも捨てて、ただの学生でいられたのがよかったですね。そして、もう十分だなと感じることができたので、日本へ帰ることにしました。
帰国後はかねてから挑戦したかった芸能や歌の仕事をしようと、六本木のクラブで歌わせてもらっていたんですけど、自分の実力のなさを痛感して。「歌で食べていくのは難しいかも」と、思っていた矢先に卵巣がんになったんです。それが27歳のときでした。

── 若くしてがんを経験され、次々にやってくる転機に向き合うのは大変だったことと想像します。手術と抗がん剤治療で半年の入院をされて、そして知人の方が開催してくれた退院を祝う食事会に、偶然いた夫となる魁皇関(現・浅香山親方)と、運命的に出会うことになります。そこからまた新たな人生が動き出しましたね。
西脇さん:そもそも大病もしたし、結婚できるとも思っていませんでしたし、ましてや関取と結婚、さらには将来、おかみさんになることは想像もしていませんでした。結婚当初は特殊な世界に入ったなと思いましたが、おかみさんとなって弟子というかわいい子どもたちのお母さん代わりをやらせてもらっている今が、すごく幸せです。
振り返ると、プロレスの世界にいたことからこそ、同じく体を資本にした力士である夫のサポートの面でわかる部分もあったり、若くして団体生活をしてきたことは、おかみさん業で力士たちのサポートにも経験を活かせている面もあるなと思ったり。天職に出会えたのかなとも思えます。
がんにもかかりましたが、卵巣がんになったから夫にも出会えて。想定外のことに直面しても、すべてが今につながっているなと思います。本当に私は強運の持ち主だなと思っているんです。それを自覚して、今生かしてもらっていることに感謝して、何事も当たり前と思わず生きていこうと思っています。
取材・文:加藤文惠 写真:西脇充子