「なんで私だけ…」50歳で乳がんも発覚
── 卵巣がんから23年が経ち、50歳という節目で受けたPET検査(がん細胞が正常な細胞より多くのブドウ糖を取り込む性質を利用し、微量の放射性物質を含んだ薬剤・FDGを投与して全身のがんを画像化する検査)で乳がんが発覚されたとのことですが…。
西脇さん:50歳を迎えた記念に、友だちとPET検査を受けようと思い立ったのですが、検査の翌朝9時に自宅の電話が鳴りました。「乳がんが見つかりました。説明するのですぐ来てください」と。電話を切って親方を呼んだものの、あまりに怖くて号泣してしまいました。卵巣がん発覚のときは泣かなかったのに「もうどうしたらいいの?」「なんで?」「私は死んでしまうの?」って。
当時、乳がんになった同期の北斗晶のニュースも話題になっていた頃で、情報が多く、かつて卵巣がんを経験して知識もついていたので、乳がんが生死に関わる深刻な病であることがすぐにわかったんです。
親方に「すぐに病院へ行け」と言われて行ったら、親友が先に来ていてビックリ。親方が親友に電話して、「心配なので一緒に付き添ってくれませんか?」と、連絡してくれていたんです。ふだんはそんな用件を頼むような人じゃないから、親友も「これはいち大事」と、仕事を休んで駆けつけてくれました。
検査結果を見ると初期の乳がんで、7ミリの腫瘍が見つかりました。PET検査のクリニックだったので、改めて乳がんの専門の先生に診てもらいましたが「触診では見つからないサイズだから見つかってよかったね」と言われ、改めて検査をして帰りました。怒涛のような1日で朝の電話からすでに夕方となり、8時間ほどが経っていました。その間、親方は私を心配して、ずっと連絡を待っていたようで「地獄の8時間だった」と聞きました。
卵巣がんのときは独り身でしたが、今回は夫、部屋の力士、飼い犬のことも頭をよぎって「自分だけのことではない」感覚で、すごく恐怖感を覚えましたね。「どうしようどうしよう、死にたくない、大丈夫だよね?大丈夫だよね?」と親方にすがると、親方も「大丈夫、大丈夫」と、ずっと励ましてくれました。
── 若くして卵巣がんを経験されて、健康にも留意されていたことと思います。そんなご自身にまたしてもがんが判明したときは、相当なショックを受けられたのではないでしょうか。
西脇さん:まさに「また自分ががんになるなんて」と思いました。そして「なんで2回もがんになるの?」って、泣きながら親方にも当たったくらい荒れて、落ち込みました。ちょうど3月で大阪場所の頃だったのですが、手術の日だけ親方が休みをもらって東京に帰ってきてくれました。
手術の前日、部屋の力士みんなから激励のメッセージを受け取って、励みになりました。乳がんが発覚したときに、彼らの顔を見ると泣いちゃいそうで、つらくて、しばらく会わなかった時期があって。みんな「おかみさんどうしたんだろう?」と、思っていたと思います。親方も「しばらく稽古場に来るな。挨拶もいいから」と言ってくれて。
大阪場所に出向くみんなを見送るときは少しだけ顔を見せましたが、泣くのを必死にこらえました。場所が終わり、帰って来たときには私の手術も無事に終わっていて、みんなの顔を見たときは「おかえり~!」と、強いハグを全員としました(笑)。
── どのような手術と治療をなさったのですか?
西脇さん:手術では部分切除術を行いました。リンパへの転移もありませんでしたが、投薬と放射線治療を受けることになり、1か月間、休みなしで毎日同じ時間に放射線治療を受けに行きました。痛みはなく、5秒ほどパチンパチンと音が聞こえて、寝ているだけ。でも、それを毎日同じ時間に行うことで、放射線を当てたところが日焼けしたように変色していき、30日目には本当にそこだけ真四角な形で真っ黒に日焼けした状態になりました。薬は5年目まで飲み続けましたね。
乳がんの寛解は10年と言われていて、今8年目になります。先日、8年目の検診をクリアしたときはホッとしました。検査結果が出るまで、毎回、恐怖の時間を過ごしています。いまだに卵巣のほうも定期検査を行っています。27歳からずっと、この恐怖と向き合っているわけです。
── 2回目のがんがわかったときに、「もっとこうしていたらよかった」など、ご自分の生活を悔んだりしたことはありましたか?
西脇さん:「何が悪かったの?」という気持ちにはなりました。それに、「また次もあるんじゃないか?」という心配にも襲われました。卵巣がんと乳がんは関連があるのかもすごく気になって先生に聞いたのですが、まったく別の原発なのだそうです。
悔やんだというよりも、2回目のがんを患い、がんってすごく身近な病気なんだなと感じました。この間も古い友人たちと集まったときに、みんな言わないだけで「がんだった」という人が結構いて。身近な同期の北斗晶もですからね。だから、検査を受けるのを怖がったり後回しにせず、早期発見の機会を積極的に持つことが大事だとも改めて思いました。
そもそも、50歳を期に思い立ってPET検査を受診したのもまた運命的というか。たまたま、見つかったわけですから。我ながら強運だなと。
── 強運も味方したと思いますが、西脇さんの「生きることへの執着」が、いい方向に運命を動かしたのではないでしょうか。
西脇さん:そうですね。私は絶対、死にたくないと思っているから「ゴキブリのように生きてやる」という気持ちはずっとありますね。結局、そういう生命力、気持ちが病に打ち勝つんだと自分を奮い立たせたように思います。退院後をイメージしたり、ポジティブな意識を持つこともよかったと思います。
乳がんになって、夫と2人の生活や犬との暮らしももっと楽しもうという考え方に。これまでは2人とも、(相撲)部屋のことが人生のすべてだったので。夫婦としての時間も少し増やしていこうと。それ以降、犬を連れてのお出かけも増えました。
親方も変わったと思います。病気の発覚で「私がいなくなったら」と想像して、怖い思いしたはずです。ひとりになることや自分では何にもできないことに恐怖感を覚えたようで、私のありがたみにもようやく気づいたのかも(笑)。こっちは「私がいなくなると困っちゃうよ?」と、図々しくなったというか、たくましくなったというか。親方は「かわいげを失ったらおしまいだ」なんて言い返してくるんですけど、私は着実にかわいげがなくなり、図太くなっています。そういうことを言い合えるのが元気な証拠で、幸せなことだなと思います。
取材・文:加藤文惠 写真:西脇充子