「27歳からずっと、この恐怖と向き合っているわけです」。元女子プロレスラーで現浅香山部屋のおかみ・西脇充子さんは20代で卵巣がん、50代では乳がんに罹患します。「なんで私が2回も」と悲観に暮れながらも、「ゴキブリのように生きてやる」と強い生への執着をあらわにし、自分を奮い立たせてきたそうです。

髪の毛が抜け落ち号泣「大病を実感して」

── 元女子プロレスラーで元大関の魁皇(現・浅香山親方)と結婚し、現在は浅香山部屋のおかみさんでもある西脇さんは、27歳の若さでがんに直面し、恐怖を感じたことと思います。どのように発覚したのでしょうか。

 

西脇さん:あるとき、うつぶせで寝ていたら、下腹部に何かが当たってゴロゴロするんですよね。トイレもやたらと近くなって違和感がすごくあって。「これは膀胱炎かな?」と思って病院に行ったのですが、即、検査となり、先生からはっきり言われたんですよ。「これは卵巣がんです」って。 

 

そんなにハッキリ言われるものなんだ、と驚きました。20代だったので、卵巣がんが命に関わる危険なイメージや知識がなく「入院で家を空けるからゴミ出ししておかなきゃ」とか「お給料も前借りして入院資金にしないと」とか、そういうことばかり考えていました。プロレスを引退後に働いていた職場のオーナーさんに事情を話すと「それより親に電話したの?」と言われて、「そうか、親に電話するような大ごとなんだ」と、そのとき気がつきました。

 

── 手術や術後の治療方針はどのようなものでしたか?

 

西脇さん:開腹手術で卵巣腫瘍を摘出し、6か月間入院して抗がん剤を6回行うという治療方針に。子どもが望める可能性がかなり低いことや、抗がん剤治療で髪の毛が抜ける説明を受けました。それを聞いて「もう子どもが産めないのかな」「何か起きたらどうしよう」と不安にも襲われて。手術では1.5キロもの腫瘍を摘出し、そこから抗がん剤治療がスタートしました。

 

西脇充子
狭き門のオーディションを突破し、プロレスラーとして活躍していた頃

── 6か月にも及ぶ抗がん剤治療は過酷なものだったのではないでしょうか?

 

西脇さん:つらかったですね。抗がん剤治療時にお見舞いに来た友人が、私があまりに苦しんでいる姿を見て、「これはもう死んじゃうかもしれない」と思ったそうです。抗がん剤治療は吐き気もすごく、そのときに食べた病院食のホワイトシチューを吐いてしまって。以降、ホワイトシチューを見ると吐き気がよみがえり、5年ほど食べられませんでした。

 

髪の毛も次第に抜け始め、友だちとウィッグを買いに一時外出の許可をもらい出かけたのですが、そのときに結んでいた髪がそのままゴソっと取れてしまって。友だちがそれを見て絶叫し、私もびっくり。急いで病院へ戻りました。

 

看護師さんが「西脇さん、もうこれ洗ってしまいましょう」と頭を洗ってくれたのですが、そしたらもうほぼ髪がなくて。そこで初めて「やばい、私、大変なことになっているんだ」って、病気の深刻さを実感しました。変わり果てた自分の姿を見てようやく現実を突きつけられた感じで、がんになって、そのとき初めて号泣しました。

 

── あまりのショックに、どんどん気持ちもふさぎ込んでいってしまいそうですが、長期間の入院ではどのようにメンタルを保ったのでしょうか?

 

西脇さん:髪の毛が抜けたとき以外はメンタルは安定していて前向きでした。入院中は母がよく見舞いに来てくれていたのですが、退院後に振り返って「あなた、ゴキブリのように生きてやるってずっと言ってたよ」って(笑)。生きることへの執着は強かったみたいです。

 

ただ、6か月も入院していると暇で、お見舞いに来た人をカウントしていたのですが、それが噂になり、プロレスラー時代の仲間が「ちょっと!西脇はお見舞いに来た人の回数を数えているらしいよ」と、大森ゆかりさんやライオネス飛鳥さんなど先輩たちも聞きつけて、次々と来てくれて。

 

母は私にがんが発覚したとき、実家に連れて帰ろうと思っていたようですが、見舞客の多さを目の当たりにして、「東京に残してよかった」と後々話してくれました。みながひっきりなしに来るから、その時間だけは元気な私に戻ることができたんですよ。