37歳での司法試験合格。東鳩グランプリを受賞し、芸能界で活躍した平松まゆきさんが、会社員生活などを経て、たどり着いたのは弁護士への道。夢は定まりましたが、司法試験合格までの道のりで多くの苦労がありました。ドラマのような成功譚だけではない、セカンドキャリアの現実を聞きました。

アイドルが偏差値30から1日12時間勉強し

── 現在は故郷・大分県で弁護士事務所を構えている平松さんですが、以前は東鳩(現:東ハト)オールレーズンプリンセスコンテストグランプリを受賞し、12歳から芸能界で活躍されていました。その後、大学進学、会社員を経て弁護士に。何度も大きなキャリアチェンジを経験されていますが、そもそもアイドルを目指したきっかけは?

 

平松さん:『トップテン』や『ザ・ベストテン』など、TVの歌番組を見てアイドルに憧れ、「東京に行ってみたい」という動機でオーディションを受けました。中1で賞をいただき、中3から東京の事務所に所属し、高1でデビュー。高校にはほとんど通わず、19歳まで芸能活動中心の生活を送りました。芸能界は楽しかったし、好きでした。

 

でも、あるキャンペーンで地元(大分県)に戻ったとき、かつての同級生たちと会って、みんなが青春を送っている様子を聞いて胸に刺さったんです。友だちは大学生や専門学生になっていて、「レポートが忙しい」「サークルの合宿に行く」と話題にしているのを聞いて、「いいなぁ、私も大学に行って学生らしいことをしてみたい」と。私は12歳で芸能界に入ってからずっと大人に囲まれて、同年代と交流する機会はほぼなかったので、彼らの話がとても新鮮だったんです。そこで、事務所に「大学に進学したい」と相談しました。

 

── 事務所の方の反応は?

 

平松さん:事務所の方々も大学を出ている人が多いので、「大学を出ると何かの役に立つ」と、応援してくれました。ただ、その時点で先の仕事は決まっていたので、スケジュールをやりくりして。勉強に集中できるようになったのは、受験前の5か月間だけ。高校3年間、ほとんど授業に出ず、勉強をしてこなかったので、大変でした。

 

塾にも偏差値30からでは志望校合格はとうていムリだと言われましたが、英語、国語、小論文の3科目に絞って、1日12時間くらい勉強しました。英語は得意科目だったのでまだよかったのですが、ゼロから学ぶ古文や漢文がもう大変で、「これが古文というものか」と(笑)。短期決戦で集中できたので、かえって中だるみをせず勉強ができてよかったのかもしれません。

契約社員「これでいいのか?」と弁護士の道目指し

── 努力のかいあって、立教大学文学部に入学。憧れの大学生活はいかがでしたか?

 

平松さん:楽しすぎて、入学後は勉強をまったくしませんでした…。歌手の経験があるので、音楽サークルでは芸能界以上にチヤホヤされ、思いっきり調子に乗ってましたね(笑)。それまでいた芸能界では「恋愛禁止」ではなかったのですが、周りの大人にずっと守られていて、同年代の男の子と接することがなくて。大学に入って初めて彼氏ができました。

 

大学1年生の終わりに事務所との契約更新をやめて、大学生活に軸足を置くことにしました。さらに「この楽しいモラトリアム期間を延長したい」と大学院に進み、卒業後はアルバイトからそのままテレマーケティング会社に契約社員として入社しました。でも、28~29歳の頃、ふと「これから先もこれでいいのか?」と我に返り、不安になったんです。

 

平松まゆき
音楽サークルでボーカルを務め、楽しくてたまらなかった大学時代の平松さん

── 何かきっかけがあったのですか?

 

平松さん:つきあっていた彼が税理士に合格したのをきっかけに、私も「手に職をつけたい」という思いが湧いてきたんです。早速、ある資格スクールへ相談に行くと、司法試験を勧められました。当時は、司法試験が弁護士になる試験という認識がなく、何も知らなかったのですが、たまたまテレビで「名張毒ぶどう酒事件」のドキュメンタリーを見て「弁護士ってカッコいい」と、背中を押されました。

 

── 1961年、集落の懇親会でふるまわれた毒入りワインを飲んだ大勢が中毒・死亡し、容疑者の冤罪の可能性が指摘された事件ですね。

 

平松さん:真剣に司法試験合格を目指し、定時で終わる職場に転職して勉強時間を確保し、資格スクールに通い始めたのですが、甘かったです。まわりは、東大や有名私大の法学部生や卒業生がほとんど。気合を入れて、教室の最前列に座って授業を聞いても、休み時間、まわりの法律談義に全然ついていけませんでした。「私はダメだ」と落ち込んでしまい、うつ状態になり、資格スクールにまったく通えなくなってしまったんです。

 

その頃、結婚を少し意識して同棲していた彼氏とも別れ、プライベートでも苦しい時期でした。運悪く、ひとり暮らし、転職、スクール開始と大きな変化が3つも重なってストレスを感じていたという事情もあります。でも、受講料などで100万円以上支払ってしまったし、このために転職までしたんだから、撤退はできません。孤独も感じ、手に職をつけなければとますます追い込まれ、目標を法科大学院受験に変更して2年後、名古屋大学法科大学院に入学しました。