31歳のときに不慮の事故で右目を失明、左目の視力も0.01以下になったプロサッカー選手の松本光平さん。懸命なリハビリを経てサッカー選手に復帰しました。自身が視覚障がい者である「ロービジョン(全盲ではないが日常生活に不便を感じている視覚障がい者)」になったことで、さまざまな気づきがあったといいます。

自分より見えない人もプレーしていた

松本光平
デウソン神戸時代。Fリーグにキャプテンとして全試合出場。記者会見にて (c)KOBE FUTSAL SPORTS CLUB

── サッカー選手として活躍している31歳のときに、視力に関わる大変な事故にあうも、今もプロのサッカー選手としてご活躍されています。復帰するまではかなり苦労も多かったのではないでしょうか。

 

松本さん:もちろん簡単ではありませんでした。僕はニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに所属していた2020年に、事故で右目を失明、左目も視力は0.01以下となり、水の中にいるようなぼんやりした視力しかありません。手術を経て復帰に向けてリハビリに励みましたが、最初は歩くことも大変でした。

 

なので、リハビリはひとりで歩いたり走ったりするところからスタートしました。その後、ボールトレーニング、初心者向けのフットサルの練習に参加し、さらに目に特化したトレーニングなどを受けて徐々にプレーができるようになっていきました。ただ、やはり所属できるチームはなかなか見つかりませんでした。

 

── 左目がぼんやりしか見えない状況で、前と変わらないプレーができていたのでしょうか?

 

松本さん:見えていたときと比べると、細かい動きをするのが難しかったですね。そんなときにサッカーではなく、フットサルのチーム、デウソン神戸から所属のお誘いをいただきました。僕の頑張っている姿を多くの人に見てもらいたいと興味を持ってくれたようです。

 

実はフットサルについて最初はあまり知識がなく、ミニサッカーのようなものだと思っていました。それが、実際にプレイしてみると全然違う競技で、ルールはもちろん動き方や早さなども異なり、最初は練習についていくだけで必死。それでも監督は我慢強く僕を指導してくれて、所属していた1年間は全試合に出場させてもらえました。結果的にここでの経験がそのときの僕に足りなかった、細かい動きや対人プレーなどの弱点を補ってくれたと思っています。

 

以前と同じように動いてしっかりプレーできることをアピールするチャンスにもなり、サッカー選手への復帰にもつながりました。

 

── 周囲から視力0.01以下の左目だけでプレイするのは難しいという声はありませんでしたか?

 

松本さん:もちろんそういう意見もありました。僕だって逆の立場だったら同じことを言うと思います。それがわかるからこそ、そういう意見に対して怒るようなこともなかったです。ただ、自分では「できる」と思っていたので、後ろ向きになることもありませんでした。

 

ブラインドサッカーという全盲の方が行う競技があるのですが、以前はすべての視覚障がい者=全盲の方だと思っていました。でも、実際は全盲の方は1、2割。あとは僕と同じように視力が少し残っているロービジョンの方なんです。僕と同じ境遇、さらには僕より見えない方でも思いっきりサッカーをしていて、その姿を見ると自分ももっと頑張ろうと思えました。