小学校時代、父が同級生の母親と恋仲になり、小学2年生でひとり暮らしを始めたゲーム芸人・フジタさん。その後約20年間の絶縁を経て再会した父は、介護が必要な状態になり次第に衰えていきます。そのとき、フジタさんは── 。(全3回中の3回)
「どうして俺が介護を?」とはならなかった

── フジタさんが小学校に上がる前に実母が他界。父と12歳年上の兄の3人での生活になるも、父はフジタさんの同級生Kくんの母と恋仲になり、内縁の妻の家で暮らし始めました。兄は高校を卒業してほとんど家に帰って来ず、フジタさんは小学2年生からひとり暮らしをすることに。
父から生活費として週3万円を渡されながら学生時代を過ごし、高校中退を経て芸人を目指すことに。20歳で実家を出てからは、父と約20年絶縁状態になっていたそうですね。それがある日、突然父から連絡が来て再会を果たすことに。20年前といろいろ状況が変わっていたと聞きました。
フジタ:父と再会したとき、父はひとりで実家に住んでいました。同級生だったKくんは結婚して子どもができ、孫のめんどうをみるために内縁の妻は出ていったらしいんです。また、今まで僕を放置したり、暴力をふるってきたことに対して初めて謝罪して、実家を僕に譲るとも言ってきたんです。
── お父さんは当時81歳だったそうですね。久しぶりの再会でしたが、お元気でしたか?
フジタさん:そのころから軽い認知症になっていましたが、まだ普通に会話はできました。ただ僕と再会してから、数か月で一気に認知症が進んでいきました。
── 認知症を疑う場面があったのでしょうか?
フジタさん:たとえば自分で銀行からお金を引き出しているのに「お金を盗まれた」、買い物すらしていないのに「スーパーで買ったものが盗まれた」と言って警察に行ったことがありました。交番からその都度、僕に連絡が来たので、これはもう完全におかしいなと思いましたね。
再会したときは普通に歩けていたんですけど、「モノを盗まれた」と言い出したときに病院を受診すると認知症と診断されて。その頃から足腰が弱っていき、転ぶことが増えていき、介護も徐々に始まりました。
── お父さんが内縁の妻と同居するようになってから、殴られるなどの仕打ちを受けてきたそうですね。そうした過去があるなかで、なぜお父さんのお世話をしようという気持ちになりましたか?
フジタさん:父に対してはいろいろな感情があります。でも、今までの謝罪を受けながら、父と距離が少しずつ近くなってきたところで介護が始まった感じがするんです。もし何年も会っていないのに「明日から介護をしてください」と突然言われたら、また違ったとは思うんですけど。
──「どうして俺がめんどうみないといけないの?」とは、ならなかったと。
フジタさん:それもあるんですけど、最終的には内縁の妻より僕のほうが大事なんだって感じたんですよね。20年絶縁していても、40年一緒にいた内縁の妻ではなく、僕に実家を譲ることを選んだ。そこは大きかったです。